東京の企業迎賓館・会員制施設|一般非公開の名邸と「秘密の館」を訪ねて

高輪にある三菱グループの迎賓施設・開東閣の外観 日本史・社会制度
三菱グループの迎賓・会員施設である開東閣。2006年撮影。撮影:Tokyo Watcher/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

高輪、三田、白金台、番町。東京の一等地を歩くと、高い塀と樹木の奥に、ホテルでも大使館でもない館が残っています。門標が見当たらず、観光案内にもほとんど載らない建物の多くは、企業や企業グループが会食、会合、賓客接遇のために使う施設です。

その土地をさかのぼると、大名屋敷、華族邸、財閥家や実業家の私邸に行き着きます。邸宅は企業へ渡り、戦災や占領軍の接収、財閥解体、高度成長期の建て替えを経て、迎賓館、会員制倶楽部、企業内料亭、社員クラブへ姿を変えました。一般公開されない館は、東京の土地所有と企業組織の変化を、門の内側に保存してきた存在でもあります。

東京の一等地に残る、一般非公開の企業施設

江戸期の高輪・三田・番町には、大名家や旗本の屋敷が広がりました。明治になると、旧大名家、華族、新興実業家が広い敷地を引き継ぎ、洋館、和館、庭園を組み合わせた邸宅を築きます。鉄道や市街地が拡大しても、塀で囲まれた大区画は分割されずに残り、のちの企業施設を受け入れる器になりました。

財閥家の資産と会社資産の境界は時代とともに変わります。創業家の私邸が会社へ譲渡され、複数社が共同利用する倶楽部へ移ると、建物の役割は「家の客を迎える場所」から「企業集団の関係を維持する場所」へ変わりました。開東閣の1938年移管と綱町三井倶楽部の戦後再生は、その転換を代表します。

戦後の接収と財閥解体は、施設の連続性を一度断ちました。返還後に旧館を修復した例がある一方、高度成長期には料理場、会議室、空調、通信設備を備えた専用館が新築されます。白山閣、SCB市ヶ谷荘、旧鹿島赤坂別館は、古い邸宅の保存だけでは説明できない「企業が接遇空間を設計した時代」の施設です。

企業が所有する接遇施設は、目的と利用者によって性格が異なります。企業迎賓館は、重要取引先や国内外の賓客を迎えるための専用空間です。開東閣や白山閣のように一社または企業グループが維持し、通常は招待された人だけが利用します。

企業グループの会員制倶楽部は、複数の系列会社が共同で支える社交・会合施設です。綱町三井倶楽部や春光会館が代表例で、役員会合、グループ行事、婚礼、会食などに使われます。企業内料亭は厨房と個室を備え、ホテルや一般料亭に頼らず会食を完結できる施設です。SCB市ヶ谷荘、青山荘、武蔵野荘は、この機能が前面に出ています。

社員クラブは福利厚生の性格が強く、社員食堂、宴会、スポーツ、研修などを組み合わせます。九段一條・一口坂社員クラブは昼と夜で役割が変わり、東レの二つの社員クラブには一般客の利用例もあります。名称だけで「完全非公開の迎賓館」と判断すると、施設の実態を取り違えます。

  1. 大名屋敷・華族邸・実業家邸宅が企業へ移る
  2. 接待、会食、会合、外国賓客対応、福利厚生の場として整備される
  3. 戦災、接収、財閥解体、建て替えによって所有と用途が変わる
  4. 歴史的建築として残る一方、再開発で消える施設も生まれる

この流れの背景には、家族が支配した事業体から企業集団へ資産が移った近代経済史があります。三井・三菱・住友などの形成と再編は、財閥とは何かをたどると、邸宅が企業グループの共有施設へ変わった理由まで理解しやすくなります。

旧邸宅を受け継いだ企業迎賓館

旧邸宅の継承方法にも差があります。開東閣と綱町三井倶楽部は、戦災や接収を経ても洋館の外観と庭園を施設の核に据えました。高輪荘は和館・洋館・蔵の三棟を残し、高輪館は所有企業が変わりながらヴォーリズ設計の住宅を受け継ぎました。白山閣は旧細川家の庭を残して1992年の建物を配置し、春光会館は旧邸宅の土地と名称を引き継ぎつつ、会議・接遇に適した現施設へ更新されています。

保存の対象は建築だけではありません。大きな庭、門、石垣、樹木、敷地の高低差は、会食の静けさや外部からの視線を遮る環境をつくりました。東京の地価が上がっても企業が大区画を維持したのは、建物単体では得られない接遇環境に価値があったためです。再開発では庭園の一部を残す例もありますが、旧永坂荘のように敷地全体が住宅へ転換すると、その環境は失われます。

開東閣

開東閣かいとうかくは、港区高輪にある三菱グループの迎賓・会員施設です。土地には伊藤博文の邸宅があり、1889年に三菱第二代社長の岩崎彌之助いわさきやのすけが取得しました。英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計した洋館は1908年に完成しましたが、彌之助は完成を見ずに亡くなり、のちに岩崎小彌太が利用しました。

1938年に建物は三菱へ移管され、「開東閣」と名付けられました。1945年5月の空襲で屋根と内部を焼失し、戦後は占領軍に接収されました。返還後の1963年に復旧工事が始まり、1964年に三菱グループの接遇施設として再開しました。外観はコンドルの意匠を復元しながら、内部は会合と会食に対応する空間へ更新されています。

現在も一般公開はなく、利用は三菱グループ関係者と招待客が中心です。公道から見えるのは門、塀、樹木が主で、洋館全体を通常の街路から眺めることは難しい立地です。三菱の公式沿革は、高輪別邸とコンドルの関係を伝えています。

綱町三井倶楽部

東京都港区三田にある綱町三井倶楽部の歴史的な洋館
綱町三井倶楽部、2018年。撮影:MIKI Yoshihito/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

綱町三井倶楽部つなまちみついくらぶは、港区三田の旧三井家迎賓館です。ジョサイア・コンドルが設計し、1913年12月に竣工しました。ルネサンス様式を基調に、バロックやビザンチンの要素を組み合わせた洋館と英国風庭園は、家族邸宅というより、当初から来客を迎えるための社交施設として計画されました。

1923年の関東大震災で損傷し、1929年に原形を保ちながら改修されました。戦災は免れましたが、1945年から米軍将校クラブとして接収されます。1953年の返還後に復旧され、三井グループ企業による会員制倶楽部へ移行しました。占領期の接収と返還が企業資産をどう変えたかは、GHQ占領下の戦後日本ともつながります。

1964年には別館が完成し、本館個室、宴会場、会議、婚礼などの機能が加わりました。現在は会員企業関係者や紹介を受けた利用が基本で、公式サイトには会食・セミナーの問い合わせ窓口があります。一般の飲食店のような自由入店ではありません。門と前庭越しに洋館の一部を確認できる場所があります。

三菱電機 高輪荘

白金台にある三菱電機高輪荘・旧遠山芳三邸の外観
三菱電機高輪荘(旧遠山芳三邸)、2011年。撮影:Srinivasa Aiyangar Ramanujan/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

三菱電機高輪荘は、港区白金台に残る旧遠山芳三邸です。投資家の遠山芳三が1926年に建てた住宅で、和風の主屋、接続する洋館、鉄筋コンクリート造の蔵から成ります。埼玉県比企郡川島町の旧遠山家住宅とは別の建物です。

主屋は木造二階建てで、続き間の座敷と接客空間を備えます。洋館は小規模ながら和洋の生活空間をつなぎ、蔵は地下を持つ三階建てです。三棟はいずれも2000年に国の登録有形文化財となり、所有者は三菱電機と登録されています。文化財制度の位置づけは、東京の歴史的建造物の保存制度とあわせると整理しやすい例です。

現在は三菱電機の接遇施設として利用され、内部の一般公開は通常ありません。門や塀の外から建物の一部が見える場所はありますが、見学施設ではありません。旧邸宅の主屋だけでなく、洋館と蔵まで一体で企業施設に引き継がれた点が特徴です。

日本テレビ放送網 高輪館

日本テレビ放送網の高輪館は、港区高輪にある旧朝吹常吉あさぶきつねきち邸です。朝吹は三井系企業で活動した実業家で、住宅はウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により1924年に建てられました。赤瓦、白い壁、アーチを用いるスパニッシュ様式の洋館です。

所有は朝吹家から前田家へ移り、その後は東芝の「山口記念会館」として使われました。古い建築資料に東芝所有とあるのはこの時期を指します。日本テレビ放送網は2016年に取得し、高輪館として保有しています。現在の所有者と旧名称を分けて読む必要があります。

公開情報で確認できる現在の範囲は、日本テレビ所有の非公開施設であることまでです。一般見学や常設公開はなく、塀と植栽の間から外観の一部が見える程度です。建築紹介資料は、朝吹邸から東芝、日本テレビへ至る所有変遷をまとめています。

春光会館

春光会館は、港区芝公園にある春光グループの会合・接遇施設です。前身は伊藤博文の子で、日本産業取締役、日本鉱業社長を務めた伊藤文吉いとうぶんきちの邸宅でした。旧日産火災が1953年に取得し、文吉の雅号「春光」にちなみ施設名を定めました。

取得後は会社の迎賓館として増改築され、1962年には旧日産系企業の経営者が集まり、戦後に分散した企業群の連絡組織「春光会」が発足しました。館の名が企業グループの名称へ広がった点で、建物が組織再編の舞台になった例です。

現在の建物は日本設計が設計し、談話室、ダイニング、会議室、レセプションルーム、和室を備えます。運営は春光グループの枠組みに属し、会員会社の役員会合や接遇が中心です。一般のレストランや貸会議室として自由に利用できる施設ではありません。

日立製作所小石川迎賓館「白山閣」

日立製作所小石川迎賓館「白山閣」は、文京区白山にある企業迎賓施設です。敷地は旧細川家ゆかりの土地と庭園を受け継ぎますが、現在の建物は旧邸宅そのものではありません。岡田新一設計事務所と日立側の設計部門が手がけ、1992年に完成した鉄筋コンクリート造を主体とする現代建築です。

約6600平方メートルの敷地に、地下1階・地上3階、延べ約3970平方メートルの建物が置かれ、庭園との連続を重視しています。歴史的な土地と庭を企業が引き継ぎ、接遇に必要な設備は新築で整えたため、「旧華族邸の保存」と「戦後企業迎賓館の新設」の中間に位置します。

現在は日立製作所の会合・接遇施設で、一般公開は通常ありません。公道側からは塀、門、樹木が中心で、建物全体は見通しにくい構成です。設計者の作品資料が、1992年の建物概要を示しています。

NEC 泉華荘

NECの泉華荘せんかそうは、港区白金台にある企業内接遇施設です。NECのイベント記録には、会議やセミナー後の懇親会場として本館が使われた例があり、運営に関わるNECライベックスの資料には会食、表彰、会合を支える業務が見られます。

ホテルや一般料亭ではなく、NECグループが重要な来客や社内外の関係者を迎えるための常設空間として機能しています。公開資料で詳しい建築年や設計者までは確認しにくい一方、白金台5丁目の所在地、施設名、企業内利用は継続して確認できます。

一般向けの飲食予約や見学制度は公表されていません。利用はNECグループの主催行事、招待客、関係者が中心です。門構えや植栽は公道から確認できますが、館内利用の詳細は公開されていません。

王友荘

王友荘は、千代田区一番町8番地にある王子製紙・王子グループ関係の迎賓施設です。千代田区内の建築を記録する「千代田遺産」は、名称、所在地、王子製紙の迎賓施設であることを記録しています。北海道苫小牧にある王子製紙の迎賓施設とは別の建物です。

番町は江戸期の武家地から明治以後の邸宅地へ移った地域ですが、王友荘の土地の前史、建築年、設計者、取得経緯を一続きに示す公式資料は限られます。公開資料で確認できるのは、一番町に現存する低層施設と、王子製紙・王子グループの接遇用途です。

一般公開や一般利用の案内はなく、企業関係者と招待客向けとみられます。外観は公道や周辺から一部確認できます。名称の似た施設との混同を避け、東京・一番町の王友荘として扱う必要があります。

戦後に整備された企業専用の迎賓・会食施設

SCB市ヶ谷荘

SCB市ヶ谷荘は、新宿区市谷仲之町にある信金中央金庫系の厚生・会食施設です。信金中央金庫の70年史年表には、1996年12月11日に「厚生施設SCB市ヶ谷荘開館」と記録されています。旧邸宅を転用した戦前型の迎賓館ではなく、金融機関が戦後に整備した専用施設です。

現在の施設情報では、個室を中心とする和食の会食場所として扱われ、利用は完全予約制の関係者・招待客向けです。一般の飲食店検索にも名称は現れますが、自由入店型の店舗とは性格が異なります。

公開資料で確認できるのは、開館時期、所在地、信金中央金庫系施設としての位置づけ、予約を前提とする会食利用です。建築設計や土地の前史については、公表情報が多くありません。

三菱UFJ銀行 番町分館

三菱UFJ銀行番町分館は、千代田区六番町5番地13にある銀行の会合施設です。三菱UFJ銀行のセミナー案内は会場として番町分館を示し、案内図には建物に銀行名や施設名の表示がないことが明記されています。外から用途が分かりにくい点は、顧客会合や内部行事に使う施設の性格をよく表します。

旧邸宅保存を前面に出す施設ではなく、セミナー、会議、会食などを銀行側が主催する際の専用会場です。一般貸会議室のような予約窓口は公表されておらず、利用は銀行関係者、招待者、行事参加者が中心です。

建物自体は公道に面しますが、施設名を掲げた観光対象ではありません。外観確認は通常の通行範囲に限られます。

三菱UFJ銀行 青山荘

三菱UFJ銀行青山荘は、港区元赤坂にある銀行関係の会食施設です。会食記録や法人活動記録には、三菱UFJ銀行の招待による和食、寿司、天ぷら、鉄板焼きなどの利用が現れます。名称に「荘」とありますが、宿泊施設として一般営業する場所ではありません。

企業側が主催する接待や会合のために、料理部門と個室を常設する企業内料亭に近い性格です。公開資料で確認できるのは、元赤坂の所在地、三菱UFJ銀行関係施設としての利用、招待を伴う会食実績までです。建築年、設計者、取得経緯は広く公表されていません。

一般利用の案内はなく、銀行関係者と招待客が対象です。外観は公道から建物の一部を確認できますが、名称表示は目立ちません。

国際電気 武蔵野荘

国際電気武蔵野荘は、小平市回田町61にある企業内接待施設です。旧日立国際電気の時代から「武蔵野荘」の名称が使われ、企業再編後は国際電気の施設名として確認できます。2026年7月更新の運営委託先求人は、用途を「企業内接待施設(和食)」と明記しています。

平日の午後から夜にかけて、予約された会食を支えるサービス体制が組まれています。市中心部の歴史的邸宅ではなく、郊外の企業拠点に近い場所で接待機能を持たせた例です。所有・運営の細部は企業グループと委託会社に分かれますが、現役施設としての名称、所在地、用途は確認できます。

一般向け店舗としての営業案内はなく、利用は企業関係者と招待客が中心です。道路側から敷地や建物の一部は見えますが、見学施設ではありません。

住友会館・住友クラブ

「住友会館」「住友クラブ」という名称は、時代と所在地によって指す建物が異なります。六本木一丁目には、かつて住友グループの迎賓施設である旧住友会館がありました。2002年完成の六本木一丁目西地区再開発で建物は更新され、庭園や樹木の一部は泉ガーデン周辺の緑地へ継承されました。

現在の接遇機能は、泉ガーデンタワー内の施設や、西新宿の新宿住友ビル高層階にある住友グループ向け施設へ引き継がれています。運営求人には、日本料理、フランス料理、鉄板焼きによる会食、住友関連企業の利用、完全予約制という条件が示されています。

旧住友会館の歴史的な庭園、六本木一丁目の再開発、現在の住友クラブの会食機能は、同じ名称の継承関係にありますが、同一建物ではありません。一般利用はなく、住友グループ関係者と招待客が対象です。

社員クラブと企業内料亭

九段一條・一口坂社員クラブ

九段一條・一口坂いもあらいざか社員クラブは、前田建設工業グループが運営する千代田区の非公開社員クラブです。一口坂の読みは「いもあらいざか」で、九段北から市谷方面へ続く坂名に由来します。

施設は昼と夜で役割が変わります。昼は同じビルで働く従業員向けの社員食堂、夜はVIPゲストを迎える和食割烹として使われます。社員福利厚生と取引先接遇を一つの厨房・サービス体制で支えるため、迎賓館と社員食堂の中間に位置する施設です。

一般向けの予約営業はなく、社員、企業関係者、招待客が利用します。求人資料は、市ヶ谷駅近くの前田建設工業東京建築支店ビル内にあること、昼の社員食堂と夜の会食機能を明記しています。

東レ社員クラブ

東レ社員クラブは、中央区日本橋本石町の日本橋室町ビル1階にある洋食系の福利厚生・会食施設です。東レエンタープライズが受託運営する施設として公式事業案内に掲載されています。同じ建物9階の「東レ室町社員クラブ」とは別の店です。

社員の昼食、社内外の会食、宴会に対応し、2026年時点の営業情報と利用記録には、平日の昼を中心に社員以外の利用例もあります。企業クラブであっても完全非公開とは限らないことを示す事例です。

利用時間や一般客の受け入れは運営方針で変わる可能性があります。現状は「時間帯により一般利用例あり」とするのが適切で、企業関係者限定の迎賓館とは区別されます。

東レ室町社員クラブ

東レ室町社員クラブは、日本橋室町ビル9階にある和食系の社員クラブです。1階の東レ社員クラブが洋食を中心とするのに対し、室町社員クラブは和食の会食、個室、宴会機能を担います。東レエンタープライズの受託施設一覧でも二施設は別々に記載されています。

2025~2026年の営業情報には、平日昼の一般利用例と、夜の予約利用が見られます。社員福利厚生を基礎にしながら、立地と時間帯によって外部利用を受け入れる運用です。

同じ建物、同じ企業グループ、似た名称でも、階、料理、利用方法が異なります。比較表では「時間帯により一般利用可」とし、最新の営業条件は運営情報が基準になります。

消えた、または建て替えられた企業施設

旧永坂荘

旧永坂荘は、港区麻布永坂町にあった旧東京銀行系のゲストハウスです。東京銀行から三菱東京UFJ銀行へつながる時期にも、会食や迎賓を目的とする施設として利用記録が残ります。高台の邸宅地に、低層建物と庭を持つ企業施設でした。

建物は2021年末から解体工事に入り、旧施設は現存しません。跡地では三菱地所レジデンスなどによる共同住宅計画が進み、2026年7月時点では2027年の竣工が予定されています。企業が長期保有した閉鎖的な邸宅敷地が、高級共同住宅へ転換する典型的な再開発です。

公道から確認できるのは工事中の敷地と周辺景観で、旧館の外観を見ることはできません。

池尻クラブ

池尻クラブは、世田谷区池尻の三菱UFJ銀行池尻センター敷地にあった企業クラブ・体育施設です。迎賓機能だけでなく、銀行職員の福利厚生、スポーツ、集会を支える用途を持ち、企業専用施設の幅を示していました。

三菱UFJ銀行は2025年6月、老朽化した池尻センターの建て替えを公表しました。2026年には池尻クラブと別館の解体が進み、跡地を含む新センターはバックオフィスとコロケーション機能を備える計画です。竣工は2034年ごろまでの長期事業として報じられています。

2026年7月時点の状態は「解体・建て替え中」です。旧クラブを見学できる状況ではなく、公道からは工事範囲のみ確認できます。

旧鹿島赤坂別館

旧鹿島赤坂別館は、港区赤坂に1964年8月に完成した鹿島建設の施設です。鹿島守之助が欧米視察で見た研究所を手本に「日本版ブルッキング研究所」を構想し、鹿島建設設計部が鉄筋コンクリート造、地上5階・地下2階の建物を設計しました。

役員室、応接室、会議室、約3万冊を収める書庫、大会議場、特別食堂、社員食堂を備え、国内外賓客の応接と会合に使われました。鹿島平和研究所、鹿島出版会、日本技術映画社も入り、迎賓、研究、出版、映像制作を一つの建物に集めた文化拠点でした。

旧館は2005年に解体され、跡地には2007年竣工の現鹿島赤坂別館が建てられました。現建物は地上15階・地下2階の業務施設で、旧庭園と樹木を極力保存し、敷地内通路を地域へ開いています。旧館と現館は名称を共有しますが、建物と主要用途は更新されています。

大名屋敷・華族邸・実業家邸宅から企業施設へ

企業施設への転換は、建物をそのまま保存した場合、庭園や土地の履歴だけを残して新築した場合、用途のみを別の建物へ移した場合に分かれます。

施設名土地・建物の前史企業取得後の用途現在の状態一般利用
開東閣伊藤博文邸跡、岩崎彌之助高輪別邸三菱グループの迎賓・会員施設現存・非公開不可
綱町三井倶楽部三井家が建設した迎賓館三井グループの会員制倶楽部現存会員・紹介中心
三菱電機 高輪荘遠山芳三邸三菱電機の接遇施設三棟現存・登録有形文化財不可
日本テレビ 高輪館朝吹常吉邸、前田家、東芝山口記念会館日本テレビ所有の企業施設現存不可
春光会館伊藤文吉邸春光グループの会合・迎賓施設敷地の歴史を継承、現建物利用会員関係者
白山閣旧細川家の土地・庭園日立製作所の迎賓施設1992年建物が現存不可
泉華荘白金台の邸宅地NECグループの会合・会食施設現存招待・関係者
王友荘一番町の邸宅地王子製紙・王子グループの迎賓施設現存不可
旧永坂荘麻布永坂町の邸宅地旧東京銀行系ゲストハウス解体済み・共同住宅計画不可
旧住友会館六本木一丁目の迎賓施設と庭園住友グループの接遇機能旧館は再開発、庭園・機能を継承不可

企業はなぜ迎賓館を持ったのか

第一の機能は、外国賓客と重要取引先の接遇です。開東閣、綱町三井倶楽部、旧鹿島赤坂別館では、公式沿革に迎賓、賓客応接、社交の用途が明記されています。料理、会議室、庭園、送迎を同じ敷地で整えられるため、主催企業が時間と空間を管理できました。

第二は、機密性の高い会合です。番町分館の案内図に施設名の表示がないこと、武蔵野荘や青山荘が予約・招待を前提とすることは、通常の店舗と異なる運用を示します。入館者を限定できる常設施設は、役員会合や重要商談に適していました。

第三は、企業グループの結束です。綱町三井倶楽部は三井グループ、春光会館は春光グループの会合を支えました。企業集団の社交と情報交換は、商社や銀行、製造業が横断的につながる場で行われました。三井・三菱のネットワーク形成は、三井物産・三菱商事から見る総合商社の歴史にも連続しています。

第四は、役員・社員の福利厚生です。九段一條・一口坂社員クラブは昼の社員食堂と夜の接遇を併設し、東レの社員クラブは社員利用を基礎に一部時間帯で外部利用を受け入れます。池尻クラブは体育・集会機能を含み、企業クラブが食事だけの施設ではなかったことを伝えます。

第五は、企業文化と建築資産の継承です。高輪荘は主屋、洋館、蔵を登録有形文化財として維持し、綱町三井倶楽部は震災修理と接収後の復旧を経て使い続けています。白山閣のように旧庭園を残して現代建築を建てる方法もありました。

一方、維持費、耐震性、土地価格、業務再編は専用施設の存続を左右します。旧永坂荘は共同住宅へ、池尻クラブは新しい銀行センターへ、旧鹿島赤坂別館は大規模な業務施設へ変わりました。ホテルや一般料亭より専用施設が有効だった時代の仕組みは、再開発によって別の土地利用へ組み替えられています。

現存状況と一般利用の可否

現況と利用条件は2026年7月に確認した公開情報に基づきます。「外観確認」は、公道や一般に通行できる場所から通常見える範囲を指します。

外観確認のしやすさも施設ごとに異なります。綱町三井倶楽部や高輪荘は、門や植栽の間から歴史的建築の一部を望めます。開東閣、白山閣、泉華荘は塀と樹木に囲まれ、建物全体は見えにくい配置です。番町分館や社員クラブは一般のオフィス建物に近く、外観から会食施設と判断しにくくなっています。一般に通行できる道路から見える範囲と、施設を利用できるかどうかは別の条件です。

施設名区市施設区分現在の主体現存状況利用条件外観確認主な歴史的背景
開東閣港区迎賓・会員施設三菱グループ現存企業関係者・招待門・樹木中心伊藤博文邸跡、岩崎彌之助別邸、戦災・接収
綱町三井倶楽部港区会員制倶楽部三井グループ現存会員・紹介・予約一部可1913年、コンドル、米軍接収後返還
三菱電機 高輪荘港区企業接遇施設三菱電機現存関係者・招待一部可1926年旧遠山芳三邸、登録有形文化財
日本テレビ 高輪館港区企業施設日本テレビ放送網現存関係者・招待一部可旧朝吹常吉邸、東芝を経て2016年取得
日立製作所 白山閣文京区企業迎賓施設日立製作所現存関係者・招待門・庭中心旧細川家庭園、1992年現建物
NEC 泉華荘港区企業内接遇施設NECグループ現存関係者・招待一部可会食・表彰・会合の利用記録
王友荘千代田区企業迎賓施設王子製紙・王子グループ関係現存関係者・招待一部可一番町の王子製紙迎賓施設
春光会館港区グループ会館・迎賓施設春光グループ現存会員会社・招待一部可旧伊藤文吉邸、1953年取得、1962年再結集
SCB市ヶ谷荘新宿区厚生・和食会食施設信金中央金庫系現存予約・関係者外観可1996年開館
三菱UFJ銀行 番町分館千代田区会合・セミナー施設三菱UFJ銀行現存行事参加者・招待外観可名称表示のない銀行分館
三菱UFJ銀行 青山荘港区企業内料亭・会食施設三菱UFJ銀行関係現存招待・関係者一部可元赤坂の銀行会食施設
国際電気 武蔵野荘小平市企業内接待施設国際電気関係現存招待・関係者一部可旧日立国際電気時代から継続
住友会館・住友クラブ港区・新宿区グループ接遇・会食施設住友グループ機能継承住友関係者・招待建物により可旧六本木会館の再開発、泉・西新宿へ機能継承
九段一條・一口坂社員クラブ千代田区社員クラブ・企業内料亭前田建設工業グループ現存社員・招待ビル外観のみ昼は社員食堂、夜は割烹
東レ社員クラブ中央区社員クラブ・洋食東レ関係、東レエンタープライズ運営現存時間帯により一般利用例ビル外観可日本橋室町ビル1階
東レ室町社員クラブ中央区社員クラブ・和食東レ関係、東レエンタープライズ運営現存時間帯により一般利用例ビル外観可同ビル9階、別施設
旧永坂荘港区銀行ゲストハウス旧東京銀行・旧三菱東京UFJ銀行系解体済み利用不可工事敷地のみ共同住宅へ再開発
池尻クラブ世田谷区福利厚生・体育施設三菱UFJ銀行系解体・建て替え中利用不可工事範囲のみ池尻センター再整備
旧鹿島赤坂別館港区迎賓・研究・文化施設鹿島建設旧館解体、現館2007年竣工一般利用不可現館・公開通路1964年旧館、2005年解体

一般非公開は、違法性や秘密活動を意味しません。企業の業務、招待者の接遇、福利厚生を目的とし、利用者を限定している施設です。現在の営業条件や運営主体は変更されることがあり、一般利用例がある社員クラブも企業側の最新案内が基準になります。

旧邸宅を企業が引き継いだ時代、企業が専用の会食・会合施設を新築した時代、資産再編と再開発で館が消える時代。東京の企業施設は、家産から法人資産へ、閉ざされた邸宅から高層業務施設や共同住宅へという土地利用の変化を、一つの都市の中に重ねています。

参考文献

情報確認日:2026年7月。企業・団体の公式資料、文化財データベース、自治体・建築資料を優先し、公開情報の少ない現役施設は運営求人、会食記録、建物記録を補助資料として照合しました。

  1. 三菱商事「岩崎彌之助とジョサイア・コンドル」
  2. 開東閣 公式サイト
  3. 綱町三井倶楽部「歴史について」
  4. 綱町三井倶楽部「建物について」
  5. 文化遺産オンライン「三菱電機高輪荘主屋」
  6. LIFULL HOME’S PRESS「旧朝吹常吉邸」
  7. 春光懇話会「春光会館」
  8. 春光懇話会「沿革」
  9. 岡田新一設計事務所「日立製作所小石川迎賓館 白山閣 1992」
  10. NEC「CLUSTERPRO FORUM 2020」
  11. 千代田遺産「王友荘」
  12. 信金中央金庫『70年史 年表』
  13. 三菱UFJ銀行「番町分館 会場案内」
  14. 日本モーリシャス協会「活動状況」
  15. 一冨士フードサービス「国際電気 武蔵野荘」
  16. 住友不動産「六本木一丁目西地区第一種市街地再開発事業」
  17. 泉レストラン「住友グループ迎賓施設」
  18. 飲食店ドットコム「九段一條・一口坂社員クラブ」
  19. 東レエンタープライズ「受託サービス室」
  20. 建設データバンク「港区麻布永坂町1番17他既存建物解体工事」
  21. 三菱UFJ銀行「池尻センター老朽化に伴う建て替えについて」
  22. 建設通信新聞「池尻センター建て替え」
  23. 鹿島建設「鹿島赤坂別館の誕生」
  24. 鹿島建設「赤坂別館が遺したもの」
  25. KAJIMA DESIGN「鹿島赤坂別館」