奈良県香芝市と大阪府の境に近い屯鶴峯(どんづるぼう)の地下には、太平洋戦争末期に造られた大規模な軍事地下壕が残っています。
奈良県の県議会答弁では、旧日本陸軍が建設した軍施設で、現在も総延長約2kmのトンネルが残ると説明されています。

工事は1945年6月ごろに始まり、陸軍航空部隊を全国規模で統一指揮する「航空総軍」の地下戦闘指令所として建設されたと考えられています。
近くには陸軍の大正飛行場、現在の八尾空港がありました。工事開始から約2か月後の1945年8月15日に終戦となり、施設は完成・本格運用に至りませんでした。
屯鶴峯とは?
屯鶴峯は奈良県香芝市穴虫付近にある奇岩景観です。二上山周辺の火山活動による堆積物が隆起・浸食を受け、白い岩肌を形成しています。
屯鶴峯の一部は1951年に奈良県指定天然記念物となりました。これは地質・景観としての屯鶴峯に対する指定で、地下壕そのものが県指定史跡になったという意味ではありません。
地下壕は何のために造られた?
太平洋戦争末期、日本軍は連合軍の本土上陸を想定した「本土決戦」の準備を進めました。航空部隊も全国の飛行場や部隊を統一して指揮する必要がありました。
その上級司令部が航空総軍です。屯鶴峯地下壕は、本土決戦時に航空総軍が使用する戦闘指令所として準備されたと考えられています。
航空総軍とは?1945年4月に陸軍航空部隊を統合した上級司令部
航空総軍は1945年4月、本土決戦に備えて陸軍航空部隊を一元的に指揮するため編成された上級司令部です。防衛研究所には4月13日付の「航空総軍命令」「航空総軍決号作戦要綱」、4月15日付の「航空総軍戦闘教令」「教育錬成に関する指示」が残り、創設直後から本土決戦用の作戦・教育体系を急速に整えていたことが確認できます。
航空総軍が直接管理したのは一つの飛行場ではありません。第1・第5・第6航空軍など複数の航空軍、飛行師団、飛行団、航空地区部隊を束ね、本土防空、敵上陸船団への航空攻撃、飛行場・通信網・兵站の運用を統合する役割を担いました。防衛研究所『本土航空作戦記録』には、航空総軍の任務・戦闘序列・作戦計画・兵站計画・航空基地整備状況まで独立した章として記録されています。
本土決戦では地上軍の第1総軍・第2総軍と航空総軍が協同する計画で、1945年5月14日には三総軍間の本土作戦現地協定も作成されています。航空総軍は、敵上陸部隊を海上・海岸付近で攻撃する航空戦力を全国規模で調整する中枢でした。
屯鶴峯に計画された地下施設を「航空総軍地下戦闘指令所」と見る意味はここにあります。完成すれば、単に近隣の大正飛行場へ指示を出すだけでなく、本土各地の航空軍・飛行部隊と通信し、作戦状況を集約して命令を発する上級指揮所になる想定でした。
防衛省資料に残る「屯鶴峯地下施設」
2025年のMBS報道では、防衛省に残る当時の資料として「航空総軍命令 屯鶴峯地下施設ヲ促進スル」という記録が紹介されています。
一方、終戦までに地下司令部が完成し、ここから本格的な航空作戦指揮を開始したことを示す資料は確認されていません。
なぜ香芝市に造られた?
屯鶴峯は奈良と大阪の府県境に近く、西側には大阪平野が広がります。約10km圏には当時の大正飛行場がありました。
また周辺には地下施設を掘削できる凝灰岩層があります。航空基地への近さと地質条件が重なった場所でした。
地下壕の構造・地質・建設
地下壕は東西に広がる
現在確認されている地下壕は大きく東側・西側の地下壕群に分かれます。香芝市の3D測量では、多数の坑道が地下で複雑につながる構造を確認できます。
一本の避難用トンネルではなく、地下司令部として人員・通信・指揮設備・物資などを配置するための施設でした。
総延長は約2km
奈良県は2018年の県議会答弁で「現在総延長2kmのトンネルが残されています」と説明しています。帝塚山大学の戦争遺跡調査でも総延長約2kmと整理されています。
坑道の規模
帝塚山大学の調査では、坑道は高さ約3m、幅約3.5m前後と報告されています。個人用防空壕より大きく、司令部施設として使用できる断面です。
東西方向に山を貫く主要坑道を5本とする調査報告もあります。
1945年6月ごろから突貫工事
複数の調査・証言では、工事開始は1945年6月ごろとされています。終戦までの建設期間は約2か月でした。
2025年のMBS報道で紹介された元工事指揮者の証言では、工事は3交代、24時間体制で進められたとされています。
壁に残る掘削痕
地下壕の壁にはツルハシで削った痕や発破用と考えられる穴が残っています。全面をコンクリートで仕上げた地下施設とは異なり、掘削途中の岩盤面が多く残ることも特徴です。
屯鶴峯の凝灰岩

画像は屯鶴峯産出の凝灰岩です。地下壕内部を撮影した写真ではありません。
奈良県は2018年の県議会答弁で、地下壕の地盤が脆弱で、保存・活用には技術的課題があると説明しています。
工事に従事した人数
従事者数には資料差があります。帝塚山大学の調査では約200人、2025年MBSの報道で紹介された元工事指揮者の証言では約300人規模とされています。
同証言では、朝鮮半島出身の兵士も工事に参加していたとされています。人数や動員形態については証言資料として扱う必要があります。
大正飛行場との関係|1945年7月の陸海軍中央協定に残る配置計画
屯鶴峯地下壕の西側には大正飛行場がありました。現在の八尾空港です。防衛研究所には第11飛行師団司令部が1945年9月15日に調製した「飛行場記録 大正.伊丹.八日市.佐野.京都.加古川.高松」が残り、大正飛行場が陸軍航空基地として終戦まで記録管理されていたことを一次史料で確認できます。
さらに香芝市議会が2025年3月に示した資料では、1945年7月13日の「決号航空作戦に関する陸海軍中央協定」に、敵上陸船団への航空攻撃を陸海軍共同で行うため、航空総軍司令部を「大阪近郊の大正飛行場付近」に置く方針が記されていたと説明されています。屯鶴峯地下壕を航空総軍の地下戦闘指令所とみる根拠は、地域伝承だけでなく、この本土決戦期の指揮配置計画と結びつきます。
大正飛行場は航空機が発着する実働基地、屯鶴峯はその近傍で上級指揮機能を地下化する予定地という関係です。同じ施設ではありませんが、敵上陸船団への航空攻撃を全国規模で指揮する航空総軍が大正飛行場周辺へ移る計画だったため、近くの岩山に大規模地下指令所を築くことには軍事的な合理性がありました。
協定では陸海軍の航空部隊指揮官を同一場所または至近距離に置き、共同作戦を緊密にする考えも示されていました。九州方面を含む決号作戦では、航空総軍が大阪近郊、海軍側が奈良方面に位置する計画が検討されており、屯鶴峯は関西に設けられる航空指揮中枢の一角として建設されたと理解できます。
未完成のまま終戦
1945年8月15日の終戦で工事は停止しました。本土決戦は行われず、航空総軍の地下戦闘指令所として本格運用される段階には至りませんでした。
戦後は地震観測へ転用|1967年から京都大学の観測坑道に
戦後、屯鶴峯地下壕の一部は軍事施設とはまったく異なる用途へ転用されました。京都大学防災研究所によると、1965年度に始まった地震予知研究計画を受け、1967年6月に旧地下壕の一部を利用する「屯鶴峯地殻変動観測所」が発足しました。
地下坑道は気温変化の影響が小さく、土地のごく微小な伸縮や傾斜を測る地殻変動観測に適しています。観測所では伸縮計・傾斜計などを設置し、10億分の1程度の微小なひずみ変化まで測定してきました。戦争末期に司令部を守るため掘られた地下空間が、戦後は地震研究のため「外乱の少ない観測室」として利用されたことになります。
1969年3月には坑道から北へ約800mの場所に鉄筋コンクリート2階建ての観測所庁舎が完成し、坑口側の遠隔記録室からデータを伝送する体制が整えられました。1986年にはテレメータ化され、観測データを京都大学宇治キャンパスへ送る遠隔観測へ移行します。
観測用に使う坑道は、崩落の危険を減らすため1979年にコンクリート吹き付け工事が行われました。京都大学が公開する観測坑道は高さ約2.5m、幅約3.5mで、軍が掘った素掘り坑道の内側を研究施設として補強した区画です。
1990年には京都大学防災研究所附属地震予知研究センターへ統合され、現在も屯鶴峯観測所として地殻変動・地下水などの連続観測に使われています。戦争遺跡の一部が80年近く残った背景には、保存運動だけでなく、戦後早くから大学の研究施設として継続利用されたことも大きく影響しています。
現在の保存・公開・研究利用
現在は一般入坑できない
2026年9月現在、地下壕内部は通常の観光施設として一般公開されていません。香芝市も「一般の方は普段入ることができない地下壕内部」と説明しています。
香芝市の3D測量|入れない地下壕をデジタルで記録
香芝市は地下壕を3次元測量し、2021年12月から測量データを編集した動画を公式サイトとYouTubeで公開しています。地上からは把握しにくい東西の坑道群、分岐、接続関係を立体的に確認でき、危険な場所へ多数の見学者を入れずに構造を共有する手段になっています。
地下壕は民有地を含み、脆弱な地盤のため常時公開が難しい施設です。そのため3D測量は観光用映像というだけでなく、将来崩落や風化が進んだ場合にも現在の形状を比較できる基礎記録になります。戦争遺跡の保存では、現物を補強して残す方法と、測量・写真・証言をデジタル記録として残す方法を組み合わせる必要があります。
帝塚山大学の平和学ゼミも2021年以降、屯鶴峯を継続的なフィールドワーク先として調査しています。2022年からは奈良県内の戦争遺跡をデジタルマップ化し、小中学校の平和学習へ活用しています。2024年には小学生向けの戦争遺跡体験ツアー、戦後80年の2025年にも屯鶴峯で現地調査が行われました。
こうした活動によって、屯鶴峯は「普段は入れない巨大地下壕」で終わらず、地質・軍事史・労働史・地域史を組み合わせて学ぶ戦争遺跡として利用されています。
保存・活用の課題
奈良県は、歴史的価値の評価、民有地を含む土地境界、調査費用、脆弱な地盤、保存技術などを課題として挙げています。
2024年時点では地下壕の史跡指定は検討段階で、指定済みではありません。
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