西麻布の歴史散歩|六本木ヒルズ・麻布大観音・笄坂・牛坂・堀田坂を歩く

六本木ヒルズから西麻布を抜け、広尾駅まで歩く歴史散歩です。現在は飲食店や住宅、大使館が並ぶ街ですが、道筋をたどると、江戸の武家地と寺社、明治の旧町名、暗渠になった笄川、戦後の米軍施設、そして再開発で生まれた六本木ヒルズまで、異なる時代の痕跡が続いています。

主な見どころは、六本木ヒルズ、星条旗通り、曹洞宗・長谷寺の麻布大観音、笄坂こうがいざか、牛坂、堀田坂です。西麻布の成り立ちそのものを詳しく知りたい場合は、西麻布の歴史を巡る夜散歩|笄町・霞町・笄川と坂道を歩くもあわせてどうぞ。

今回のコース概要

  1. 六本木ヒルズ
  2. 星条旗通り・赤坂プレスセンター周辺
  3. 長谷寺・麻布大観音
  4. 笄坂
  5. 牛坂
  6. 堀田坂
  7. 広尾駅

西麻布は「笄町」と「霞町」などから生まれた

現在の西麻布という町名は1967年に成立しました。港区によると、江戸時代の一帯には陸奥白河藩阿部家の下屋敷などの武家地、寺地と門前、青山原宿村、麻布村の飛地、麻布三軒家町、麻布桜田町などが混在していました。明治以降は霞町、笄町こうがいちょう、桜田町、三軒家町となり、昭和42年の住居表示で周辺の町域を合わせて西麻布が誕生しました。

「笄町」の名は笄橋に由来します。笄橋は西麻布付近を流れていた笄川に架かっていた橋で、現在、川は暗渠となっています。港区が紹介する『江戸砂子』の伝承では、平安時代の武将・源経基みなもとのつねもとが関所を通る際、刀装具の笄を証拠として渡したことから橋名が生まれたとされます。伝承の真偽とは別に、「笄」の名が橋、町、坂、小学校へ受け継がれたことは、地域の歴史を歩くうえで大きな手掛かりです。

六本木ヒルズ|窪地の住宅地から「文化都心」へ

出発地点の六本木ヒルズは2003年4月に竣工しました。森ビルによると、再開発区域は約11ヘクタール。かつてはテレビ朝日の敷地に加え、公団日ヶ窪住宅や木造住宅を中心とする低層住宅地があり、テレビ朝日側の地盤から最大約15メートル低い窪地も含まれていました。幅約3メートルの細街路も多く、防災面に課題を抱えていた地区です。

1986年の「再開発誘導地区」指定から約17年を経て完成し、オフィス、住宅、美術館、展望台、放送施設、商業施設などが集まる「文化都心」として開業しました。華やかな超高層ビルの足元に、もともとの起伏と住宅地の歴史があることを知ると、西麻布へ下っていく地形の見え方も変わります。六本木が戦後に国際的な夜の街へ変化した経緯は、六本木が国際的な夜の街になった歴史で詳しく紹介しています。

星条旗通り|旧日本陸軍施設から米軍の報道拠点へ

六本木から西麻布へ向かう途中には「星条旗通り」と呼ばれる道があります。沿道の赤坂プレスセンター、通称ハーディー・バラックスは、戦前には旧日本陸軍の施設があった場所です。戦後は米軍施設となり、米軍向け新聞『Stars and Stripes』太平洋版の拠点が置かれました。

同紙の記録では、編集部は1953年11月29日に旧日本陸軍の兵舎へ移転し、その年の12月までに営業・配布・制作部門も移りました。六本木周辺に米軍関係者や外国人が集まり、戦後の国際的な街の形成に影響した歴史を、現在の道路名が伝えています。

長谷寺・麻布大観音|西麻布に残る曹洞宗の大寺院

高樹町交差点に近い長谷寺は、曹洞宗大本山永平寺の東京別院です。読みは長谷寺ちょうこくじ。公式案内では西麻布2丁目21番34号にあり、現在も参禅や法要が行われています。

境内でひときわ目を引くのが「麻布大観音」と呼ばれる十一面観世音菩薩です。江戸三十三観音の第22番札所にも数えられています。現在の像は高さ約10メートルとされ、都心の寺院では珍しい大きさです。西麻布が飲食店街として知られる以前から、寺社地と門前を抱えていたことを実感できる場所です。

笄坂|暗渠になった笄川の谷を感じる

笄坂の名は、坂下を流れていた笄川と、その川に架かっていた笄橋に由来します。港区の資料では、笄川は現在暗渠となっているものの、水流は地下に残っています。西麻布の高低差を歩くと、坂を下るほどかつての川筋へ近づき、上ると武家地や寺社が置かれた高台へ戻る地形が分かります。

笄橋は『江戸名所図会』にも描かれた場所で、現在の西麻布周辺に「笄」という地名の記憶を残しました。川も橋も地上から姿を消しましたが、坂名や学校名に痕跡が残っています。

牛坂|古い交通路の記憶が残る坂

牛坂は西麻布4丁目に残る坂です。港区は、笄橋に続く古い交通路で、牛車が往来したことから名が付いたと考えられるとしています。坂名の由来には源経基や白金長者にまつわる伝説も重なります。

現在の西麻布は幹線道路と細い住宅地の道が交差しますが、牛坂を歩くと、自動車交通以前から高台と谷を結んでいた道の線形を体で確かめられます。

堀田坂|大名屋敷の名がそのまま坂名になった

堀田坂は西麻布4丁目から渋谷区境へ向かう坂です。江戸時代、坂の先に大名堀田家ほったけの下屋敷があったため、この名で呼ばれるようになりました。港区には1974年、1984年、2014年の坂の写真が残り、周辺の建物が変わっても坂そのものの勾配が地域の骨格として続いていることが分かります。

広尾の高台には、江戸時代に大名下屋敷が置かれた広い土地が多くありました。広尾側の土地利用の変化は、渋谷から広尾の歴史散歩|鎌倉道・塙保己一・旧久邇宮邸・日赤を歩くで詳しくたどれます。

広尾駅|1964年、東京オリンピックの年に開業

散歩の終点は東京メトロ日比谷線の広尾駅です。日比谷線は段階的に建設され、霞ケ関―恵比寿間が1964年3月25日に開業した際、広尾駅も営業を始めました。同年8月29日に日比谷線は全線開業しています。

「広尾」という地名について、港区は江戸時代の『江戸名所図会』にすすきの生える「広尾原」が描かれていることを紹介しています。渋谷区には、かつて「土筆ヶ原」と呼ばれ、その後「広野」となり、元禄期の検地頃から「広尾」と呼ばれるようになったという伝承も残ります。現在の駅周辺は大使館、学校、病院、住宅が集まりますが、江戸の郊外だった時代から近代の都市化までを重ねて見ることができます。

広尾からさらに麻布十番方面へ歩くなら、麻布十番から広尾へ|元麻布・南麻布の坂とがま池を歩く歴史散歩もつながるコースです。

開催レポート

開催当日の写真と記録は、このページに追記します。

現在地から歴史スポットを探すならTimeWalk

TimeWalkで現在地から歩ける史跡を地図で探すと、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを見つけ、自分のペースで歴史散歩を楽しめます。西麻布のように坂道、旧町名、暗渠、寺社が近接する地域では、街を歩きながら次の見どころを探す使い方が向いています。

参考資料