国立印刷局東京工場見学レポート|お札の製造・紙幣国産化と旧滝野川工場の歴史

国立印刷局のロゴサイン

2026年9月10日13:40から、東京都北区西ケ原にある国立印刷局東京工場を見学しました。東京工場は、私たちが日常的に使う日本銀行券を実際に製造している工場です。見学ではガラス越しにお札の印刷現場を巡り、製造工程や偽造防止技術、紙幣国産化の歴史について説明を受けました。

お札はどこで作られ、誰が発行するのか。日本はどのように外国製紙幣への依存から脱し、国内で紙幣を製造できるようになったのか。今回の見学で聞いた説明も踏まえ、得能良介とくのう りょうすけ、エドアルド・キヨッソーネ、1931年に完成した旧滝野川工場本館など、東京工場を理解するための歴史をたどります。

国立印刷局東京工場の正面玄関

国立印刷局東京工場とは

国立印刷局東京工場は東京都北区西ケ原2-3-15にあり、日本銀行券、収入印紙、各種証券類を製造しています。官報、国会会議録、法律案、予算書、決算書などの国会用製品も扱う、社会の基盤を支える製造拠点です。

「お札を作る場所」と「お札を発行する場所」は役割が分かれています。日本銀行券を製造するのが国立印刷局で、国立印刷局から納入された銀行券を発行するのが日本銀行です。

東京工場の見学で見られるもの

通常の見学は約90分です。国立印刷局の業務を紹介する映像が約30分、2階の見学廊下からお札を印刷する作業場を見る時間が約20分、展示室で製造工程や偽造防止技術を学ぶ時間が約30分という構成です。

製造現場はガラス窓越しの見学です。今回の見学では、工場見学ルートへの撮影機器の持ち込みはできず、撮影できたのは説明会場の展示室のみでした。展示室には、紙幣用紙の原料、インキ、実用版のレプリカ、校正刷り、3Dホログラム、記番号完成刷り、千枚束などが並び、製造工程を実物に近い資料で追うことができます。

国立印刷局東京工場の展示室全景
国立印刷局東京工場の展示室。印刷工程、偽造防止技術、紙幣の材料を実物展示で学べます。

展示室には1億円の重さを体験しながら記念撮影できるコーナーもあり、この日は「2026年9月10日」と見学日が表示されていました。

国立印刷局東京工場の2026年9月10日見学記念展示
2026年9月10日の見学日が表示された記念撮影コーナー。展示室内は撮影可能でした。

2026年9月10日の国立印刷局東京工場見学レポート

今回参加したのは13:40開始の回です。最初に参加者全員で国立印刷局の概要説明を聞き、映像を鑑賞しました。正面には新しい日本銀行券を大きくあしらったパネルがあり、ここから約90分の見学が始まります。

国立印刷局東京工場の全体説明会場
13:40からの全体説明とビデオ鑑賞を行った会場。正面には新しい日本銀行券を使った大型パネルがあります。
13:40~全体説明・ビデオ鑑賞
14:00~第1グループは工場見学、第2グループは展示室見学
14:30~第1グループは展示室見学、第2グループは工場見学

その後は2グループに分かれ、工場見学と展示室見学を交代で行いました。第2グループは私たちサークルメンバー18名で、14:00から展示室、14:30から工場見学という順番でした。

工場見学へ入る際は、携帯電話や腕時計を含む手荷物をすべて説明会場のロッカーへ預けました。製造現場には撮影機器を持ち込まず、見学はガラス越しに行います。

国立印刷局東京工場の見学用ロッカー
工場見学前に携帯電話や腕時計を含む手荷物を預けるロッカー。

展示室は解説を聞いたあと自由見学

14:00から展示室へ入り、はじめに職員から国立印刷局の歴史、紙幣の国産化、歴代紙幣、人物肖像、製造工程、偽造防止技術について説明を受けました。展示パネルには、明治初期の政府紙幣、ドイツ製の明治通宝、アメリカ製の旧国立銀行券、国内製造へ移った新国立銀行券が年代順に並び、紙幣国産化の流れを一望できます。

国立印刷局東京工場の展示室にあるお札の移り変わり解説
明治期からのお札の変遷を紹介する展示。ドイツ製・アメリカ製の紙幣から国産紙幣への移行やキヨッソーネの役割がまとめられています。

人物肖像の説明では、エドアルド・キヨッソーネが手掛けた肖像を前に、明治期の印刷・彫刻技術について話を聞きました。

国立印刷局東京工場の展示室で職員の説明を聞く見学者
展示室では、はじめに職員から人物肖像や紙幣の歴史について説明を受けました。

続いて「国立印刷局とお札の歴史」のパネルを使い、外国製紙幣から国産化へ進んだ過程や、紙幣の図柄・技術が変化してきた経緯をたどりました。

国立印刷局東京工場の展示室で紙幣の歴史説明を聞く見学者
国立印刷局とお札の歴史を示すパネルを使った説明。紙幣の国産化や歴代紙幣をたどります。

職員による説明が終わると自由見学です。製造工程の実物展示、歴代紙幣、偽造防止技術などを各自のペースで見られました。写真撮影ができるのもこの展示室で、ここから先の工場見学では携帯電話などをロッカーへ預けます。

国立印刷局東京工場の展示室を自由見学する様子
職員の説明後は展示室を自由見学。紙幣の歴史、偽造防止技術、製造工程などを各自のペースで見ることができます。

キヨッソーネと明治の肖像画の説明

展示室の歴史解説では、紙幣の国産化に力を尽くしたエドアルド・キヨッソーネの仕事とともに、西郷隆盛さいごう たかもりや明治天皇の肖像についても説明がありました。

キヨッソーネは紙幣や切手の原版彫刻だけでなく、明治期の人物肖像も数多く制作しました。西郷隆盛は写真を残しておらず、キヨッソーネが来日した1875年より前に本人と会う機会もありませんでした。1883(明治16)年に制作された西郷の肖像は、弟の西郷従道さいごう つぐみちと従弟の大山巌おおやま いわおの顔を参考に構成したものとして知られています。現在広く知られる西郷隆盛像の形成にも大きな影響を与えました。

明治天皇の肖像もキヨッソーネが手掛けています。紙幣製造のために招聘された外国人技師が、近代日本を代表する人物像の制作にも関わっていたことが、印刷局の仕事の幅を物語っています。

「幻の10円札」と国産化後の「かじや5円」

見学中には、明治初期の国立銀行紙幣の希少価値についても話があり、2025年7月1日放送の「開運!なんでも鑑定団」に登場した国立銀行券10円札が紹介されました。

番組公式記録によると、依頼品は1873(明治6)年に発行された旧国立銀行券10円札で、所有者が530万円で落札したものです。本人評価額も530万円でしたが、鑑定結果は650万円でした。状態の良い10円札は発行数そのものが少なく、番組の鑑定士は同じ旧国立銀行券の20円札について「1000万円以上の値が付く」と解説しています。20円券はこのシリーズの最高額面で、表面には素戔嗚尊すさのおのみことと八岐大蛇やまたのおろちが描かれています。

展示では、これとは別に国産化後の国立銀行紙幣(新券)5円も紹介されていました。1878(明治11)年7月2日発行で、通称は「かじや5円」。キヨッソーネがデザインし、表面には鍛冶屋かじやと工場の煙突、裏面には恵比寿えびすが描かれています。日本銀行貨幣博物館は、鍛冶屋と工場の図柄について、工業立国・殖産興業を目指す政府の方針を表したものと紹介しています。

番組に登場した1873年の旧国立銀行券10円はアメリカ製、「かじや5円」は国内で製造された新券です。1877年の「水兵1円」と1878年の「かじや5円」は、キヨッソーネの技術を取り入れて日本国内で製造された国立銀行紙幣で、外国製紙幣から国産紙幣へ切り替わった時期を実物の図柄からたどれます。

見学後には国立印刷局ならではのお土産も

見学会場では、お札をモチーフにしたグッズを購入できます。紙幣片入りのシャープペンやボールペン、お札紙片入りのうちわ、歴代紙幣の肖像を使ったタオルやハンカチ、扇子、新お札せんべいなどが並んでいました。

国立印刷局東京工場のお土産販売コーナー
見学後に利用できるお土産販売コーナー。お札をモチーフにしたタオル、ハンカチ、うちわ、文具などが並びます。

紙幣を作る際に生じる紙片を利用した文具は、印刷局らしさがよく表れた商品です。展示で製造工程を見た後なので、材料や断裁工程とのつながりも感じられます。

国立印刷局東京工場で販売される紙幣柄の文具とうちわ
紙幣片入りの文具やお札紙片入りうちわなど、印刷局ならではのグッズが並んでいました。

タオルや扇子、ハンカチには、現行紙幣だけでなく歴代の紙幣や肖像がデザインされています。

国立印刷局東京工場で販売されるお札柄タオルと菓子
現行紙幣を大きくデザインしたタオルや新お札せんべいなど、見学記念になる商品が販売されていました。

お札ができるまで

国立印刷局では、お札の用紙やインキ、原図、原版の作製から印刷、検査、仕上げまでを一貫して行っています。今回の展示室では、それぞれの工程に使う材料や版、校正刷りを間近で見ることができました。

用紙には、みつまたやアバカなどが使われます。みつまたはジンチョウゲ科の植物で、蒸して皮を剥いだ白皮を原料として利用します。アバカはバショウ科の植物で、丈夫で長い繊維を持ちます。紙料を網の上に薄く流してすき、すき入れを施して乾燥させた後、印刷に使う大きさに断裁します。

日本銀行券の原料となるみつまたとアバカパルプ
日本銀行券の用紙に使われるみつまたとアバカパルプ。丈夫で独特の手触りを生む原料です。

インキも用途によって性質が異なります。展示では、細かな地紋を刷る比較的柔らかな地紋インキと、指で触ったときの盛り上がりを作る粘度の高い凹版インキを見比べることができました。国立印刷局では独自の配合で凹版インキを製造しています。

国立印刷局東京工場の展示室にある地紋インキと凹版インキ
展示室の地紋インキと凹版インキ。凹版印刷では盛り上がりを出すため粘度の高いインキが使われます。

図柄の制作では、専門職員である工芸官が原図を描き、ビュランという彫刻刀で金属板に細かな点や線を刻んで原版を作ります。彩紋と呼ばれる複雑な幾何学模様にはコンピュータも使われます。展示室には、複数枚の一万円券を一度に印刷する実用版のレプリカもありました。

一万円券の実用版レプリカ
お札の印刷に使われる実用版のレプリカ。複数枚の券面を一度に印刷する版の構成が分かります。

校正刷りの展示では、凹版部分だけを刷ったものと地紋部分だけを刷ったものが並び、完成した一枚のお札が複数の印刷工程を重ねて作られることがよく分かります。

一万円券の凹版校正刷りと地紋校正刷り
凹版部分と地紋部分を分けて確認できる校正刷り。印刷工程ごとの役割が見比べられます。

印刷工程では、裏面、表面の順に図柄を印刷し、ホログラムを貼付します。その後、記番号と印章を印刷します。展示されていた「記番号完成刷り」では、大判の用紙に複数枚の一万円券が並んだ状態を見ることができました。

記番号と印章を印刷した一万円券の完成刷り
記番号と印章まで印刷された完成刷り。大判の用紙に複数枚のお札が並んでいます。

最後に断裁・検査を行い、合格したお札は枚数を確認して1000枚ずつの束に仕上げます。券種ごとに帯の色が異なり、展示では一万円券、五千円券、千円券の千枚束が並んでいました。完成した銀行券は日本銀行へ納入されます。

千枚束の一万円券・五千円券・千円券の展示
券種ごとに色の違う帯を掛けた千枚束の展示。仕上げ工程後のお札の姿を再現しています。

新しいお札の偽造防止技術

2024年7月3日に発行が始まった現在の一万円券、五千円券、千円券は「F券」と呼ばれます。一万円券の表面は渋沢栄一しぶさわ えいいち、五千円券は津田梅子、千円券は北里柴三郎きたさと しばさぶろうです。

F券には、肖像の周囲に細密な連続模様を表現する「高精細すき入れ」と、立体的な肖像が回転して見える3Dホログラムが採用されています。国立印刷局によると、この3D技術の銀行券への採用は世界初です。展示室では、実際に機械へセットする3Dホログラムの素材も見ることができました。

新しい日本銀行券に使われる3Dホログラム
機械にセットする3Dホログラム。角度によって肖像が立体的に動いて見える偽造防止技術です。

ほかにも、触るとざらつきを感じる深凹版印刷、傾けると文字が現れる潜像模様、ピンク色の光沢が見えるパールインキ、カラーコピーでは再現しにくいマイクロ文字、紫外線で一部が発光する特殊発光インキなどが組み合わされています。

千円券の裏面には、葛飾北斎かつしか ほくさいの「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が使われています。券種ごとに図柄、寸法、識別マークの位置も変えられています。

日本のお札はどう国産化されたのか

明治初期、日本には近代的な紙幣を大量かつ精密に製造する設備と技術が十分に整っていませんでした。政府は1870(明治3)年に新紙幣の製造をドイツへ依頼し、1872年から「明治通宝」として発行しました。1873年から使われた国立銀行紙幣の旧券もアメリカで製造されています。

外国製の紙幣は当時の日本より精巧でしたが、追加製造のたびに費用と輸送時間がかかり、製造に関する情報を国外の会社が扱うことも通貨制度上の課題でした。1874年に第三代紙幣頭となった得能良介とくのう りょうすけは、紙幣を国内で一貫して製造する体制づくりを進めます。

国産化には、精密な原版を彫る技術、印刷機、偽造に強い用紙、それらを扱う人材が必要でした。1875年にはイタリア人彫刻技師エドアルド・キヨッソーネが来日し、西洋式の凹版彫刻技術を伝えます。同年には王子に製紙部門の抄紙局しょうしきょくが設けられ、翌1876年に紙幣用紙の製造が始まりました。

印刷の拠点として大手町に建設されたのが朝陽閣ちょうようかくです。得能が工場建設の必要性を政府に訴え、1876年10月に完成しました。外国から大型機械を導入し、キヨッソーネら外国人技術者の指導を受けながら、国内で紙幣を作る体制が整えられました。

1877(明治10)年には、国産第1号の近代的な洋式紙幣「国立銀行紙幣(新券)一円」が製造されました。右側に水兵が描かれたことから「水兵札」とも呼ばれます。原版を彫刻したのはキヨッソーネでした。

1877年には、用紙から印刷までを日本国内で行う製造体制が成立しました。原版彫刻などの中核技術には外国人技師の力が使われ、その技術は日本人技術者へ受け継がれていきます。1930(昭和5)年発行の乙100円券では、聖徳太子の肖像を含め、図案の考証から原版彫刻まで日本人技術者が一から担当しました。国立印刷局はこの券を初の「純国産紙幣」と位置付けています。

エドアルド・キヨッソーネ|日本近代紙幣の父

エドアルド・キヨッソーネは1833年にイタリアで生まれた版画家・彫刻家です。銅版彫刻の技術を学び、紙幣や有価証券の製造にも関わった後、1875(明治8)年に来日しました。印刷局では1891年まで紙幣や切手などの原版彫刻を担当し、日本人技術者の育成にも携わりました。

1898年頃のエドアルド・キヨッソーネの肖像
エドアルド・キヨッソーネ(1898年頃)。Public Domain / Wikimedia Commons

キヨッソーネが伝えた中心技術の一つが、ビュランで金属板へ細密な線を直接刻む直刻凹版です。肖像の陰影や髪、衣服まで微細な線で表現でき、複製が難しいため紙幣の偽造防止にも適しています。この技術は現在の国立印刷局の工芸官へ受け継がれています。

1877年の国立銀行紙幣(新券)一円は、キヨッソーネが日本で初めて原版を彫刻した紙幣です。1881年発行の改造紙幣では神功皇后じんぐうこうごうの肖像を手掛け、日本で初めて肖像を用いた紙幣が生まれました。その後も紙幣、切手、公債証書など数多くの原版を制作しています。

キヨッソーネは西洋の技術を教える一方、日本美術も調査しました。1879年には得能良介らと東海・近畿地方を142日間巡り、寺社や古美術品を記録しています。その成果は、正倉院御物などを高度な印刷技術で再現した『国華余芳』へつながりました。

1891年に印刷局を退職した後も日本に暮らし、1898年に東京で亡くなりました。収集した日本・東洋美術は故郷ジェノヴァへ遺贈され、現在のエドアルド・キヨッソーネ東洋美術館の中核コレクションになっています。国立印刷局がキヨッソーネを「日本近代紙幣の父」と紹介する背景には、優れた作品だけでなく、紙幣製造の技術を日本へ定着させた功績があります。

得能良介|紙幣国産化を進めた第三代紙幣頭

得能良介とくのう りょうすけは1825(文政8)年、鹿児島に生まれた薩摩藩士です。明治政府では大蔵省などに出仕し、1874(明治7)年に第三代紙幣頭となりました。のちに紙幣局長、印刷局長を務め、1883年に亡くなるまで日本の紙幣・印刷行政を担いました。

1880年頃の得能良介の肖像
得能良介(1880年頃)。Public Domain / Wikimedia Commons(原資料:皇居三の丸尚蔵館)

得能は、用紙、原版、印刷、設備、人材を一つの国家事業として整えました。東京・大手町に印刷工場を建設する認可を得て外国から機械を導入し、キヨッソーネら外国人技術者を招いて最新の技術を吸収しました。

用紙については、偽造防止のため官営で製造する方針を選びます。王子に抄紙局の工場を整備し、越前から紙すき職人を招いて、日本固有の材料と和紙の技法を生かした紙幣用紙の開発を進めました。現在の国立印刷局王子工場につながる事業です。

1876年には大手町の朝陽閣が完成し、翌1877年には国産第1号の洋式紙幣が製造されました。得能の時代に、王子で紙を作り、大手町で原版と印刷を担う国産の製造体制が形になりました。

得能は日本の古美術にも関心を寄せ、1879年にキヨッソーネらと長期の古美術調査旅行を行いました。自身が記した『巡回日記』には寺社や古美術品の調査が残り、その成果は印刷局の図案や印刷技術にも生かされました。

東京工場には現在、得能良介の胸像があります。今回の工場見学では、戦前には全身像だったものが戦時中の金属供出で失われ、戦後に彫刻家の北村西望きたむら せいぼうが現在の胸像を制作したとガイドから説明を受けました。胸像に対して台座が大きく見えるのは、旧全身像の台座を引き継いでいるためとのことでした。

北区は日本の近代製紙が育った場所

北区の王子・西ケ原周辺は、近代日本の製紙史を知るうえで重要な地域です。1875年、国立印刷局につながる抄紙局しょうしきょくが王子に設置され、翌1876年に操業を始めました。現在の国立印刷局王子工場につながる施設です。

同じ王子では、渋沢栄一しぶさわ えいいちらが設立を進めた抄紙会社も1870年代に近代的な洋紙生産を始めました。のちの王子製紙です。官営の紙幣用紙と民間の洋紙産業が近い地域で発展し、王子は日本の近代製紙を代表する土地になりました。

王子の製紙業と渋沢栄一の関係は、渋沢栄一が形づくった東京|日本橋・兜町・王子・飛鳥山の近代都市史で詳しく紹介しています。飛鳥山周辺の史跡は、王子・飛鳥山を歩く歴史散歩でもたどれます。

東京工場と王子工場の違い

北区には国立印刷局の「東京工場」と「王子工場」があります。今回見学した東京工場は西ケ原2丁目にあり、日本銀行券や収入印紙、官報などを製造しています。

王子工場は王子1丁目にあり、現在は郵便切手や各種証券類などを製造しています。1875年に設置された抄紙局の系譜を引くのはこちらの王子工場です。

東京工場の現在地につながる施設は1931年に落成した滝野川分室で、2014年に虎の門工場と滝野川工場を再編して現在の東京工場が設置されました。

1931年完成の旧滝野川工場本館

東京工場の本館は、昭和初期に建設された旧滝野川工場の建物です。国立印刷局の沿革では1931(昭和6)年5月16日に「滝野川分室」として落成したと記録されています。北区によると、上空から見た平面はPrinting(印刷)の頭文字を取ったP字形で、2007(平成19)年には近代化産業遺産に認定されました。

建築史資料では、設計は大蔵省営繕管財局、施工は安藤組とされています。工事は1928(昭和3)年から1930(昭和5)年にかけて進められ、昭和初期の官庁建築らしい端正な外観に、玄関部分のアール・デコ調の装飾が組み合わされています。

今回の見学では、本館玄関の大理石仕上げや正面の時計についても案内がありました。紙幣を製造する工場という機能的な建物の中に、石材や幾何学的な装飾を使った玄関空間が残っています。構内は撮影機器の持ち込みが制限されているため、これらの建築意匠は現地で見ることができた部分です。

大手町・朝陽閣から受け継がれた鳳凰像

本館正面玄関前に置かれている石造の鳳凰像は、1876(明治9)年に東京・大手町に完成した印刷工場朝陽閣ちょうようかくの屋根に据えられていたものです。明治期の紙幣製造拠点から現在の東京工場へ受け継がれています。

鳳凰は1872(明治5)年発行の新紙幣にも使われた図柄で、国立印刷局のシンボルになりました。朝陽閣の屋根には高さ約2メートルの石造鳳凰像が掲げられ、紙幣を製造する近代的な工場の象徴となっていました。

朝陽閣は1923(大正12)年の関東大震災とその後の火災で崩壊しました。国立印刷局の特別展資料によると、鳳凰像は震災前に建物から取り外されていたため被災を免れ、現在は東京工場の正面玄関前に保存されています。大手町工場の実物資料として残る赤レンガとともに、明治期の紙幣製造工場を現在へ伝える資料です。

2026年の東京工場見学|予約・受付・当日の条件

見学日原則として毎週火曜日・木曜日(祝日、年末年始などを除く)
開始時間10:00、13:40
所要時間約90分
定員1回40人
対象原則小学生以上
料金無料
予約インターネットによる事前予約制。見学者全員の氏名・年齢・住所の登録が必要
13:40枠の来場時間13:20~13:30
本人確認高校生以上は、公式が指定する身分証明書の原本による本人確認があります
手荷物受付で手荷物検査。今回の見学では、工場見学時に携帯電話・腕時計を含む手荷物を説明会場のロッカーへ預けました
途中退場セキュリティ上、見学途中の退場は不可
撮影・録音今回の見学では、工場見学ルートへの撮影機器の持ち込みは不可。撮影できたのは説明会場の展示室のみ
飲食・喫煙見学中は一部を除き飲食不可。見学施設内に食事・喫煙場所はありません
移動階段を使用する場所があります
案内日本語のみ

13:40開始の見学では13:20~13:30の来場時間が指定されており、それ以前は待機場所がありません。受付では予約確認メールの代表者名・予約番号を確認できる画面または印刷物が必要です。

高校生以上は本人確認と手荷物検査があります。公式ページが例示する身分証明書には、マイナンバーカード、運転免許証、パスポート、顔写真付き学生証、障害者手帳などがあります。コピーは対象外です。

国立印刷局はセキュリティ上、不特定多数を対象に参加者を募集する形態のツアー等を受け付けていません。見学者全員の氏名・年齢・住所は事前登録制です。

アクセスで間違えやすいのは入場門

東京工場の住所は東京都北区西ケ原2-3-15です。東京メトロ南北線西ケ原駅1番出口から徒歩約1分、JR京浜東北線上中里駅から徒歩約10分です。

工場見学の入場口は、花と森の東京病院側にある「南門」です。JR線路沿いの東門からは入場できません。自家用車、バイク、自転車での来場にも対応しておらず、事前許可を受けた団体バスのみ工場内の駐車場を利用できます。

見学前にお札を一枚見ておく

工場へ行く前に手元のお札を見ると、現場で確認したいポイントが具体的になります。肖像周辺の高精細すき入れ、角度で動いて見える3Dホログラム、指で触ったときの深凹版印刷、細かなマイクロ文字などは、製造工程と結びつけて見ると理解しやすい部分です。

王子駅近くの「お札と切手の博物館」では、歴代のお札や切手、印刷技術、偽造防止技術を体系的に見ることができます。以前訪れた様子は、旧古河庭園からお札と切手の博物館などを巡った記事に掲載しています。

西ケ原・王子の歴史を地図でたどる

国立印刷局の周辺には、飛鳥山、旧渋沢庭園、紙の博物館、お札と切手の博物館など、近代日本の紙・産業・金融史につながる場所が集まっています。王子の醸造試験所・飛鳥山・洋紙発祥の碑を巡った散歩記録では、王子の近代産業史を現地の史跡とともにたどれます。

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探せるWebアプリです。西ケ原・王子・飛鳥山周辺の予習や見学後の散歩に使えます。工場内部の見学は、国立印刷局が設定した見学ルートで行われます。

参考情報

※見学条件は2026年9月10日時点の国立印刷局公式情報をもとにしています。