六本木ヒルズから元麻布・麻布十番へ|坂・寺・大使館・高級マンションを歩くナイトウォーク予習

元麻布の暗闇坂

六本木ヒルズから元麻布の高台を抜け、麻布十番へ下るナイトウォーク。2026年9月10日のイベントでは、昭和の茶室、大使館、動物の名を持つ坂、江戸の寺院、外国人向け高級住宅、麻布十番の商店街までをつないで歩きます。

元麻布は古川北岸の台地に広がり、坂を下りると麻布十番の低地へ移ります。短い距離の中に、江戸の地形と信仰、近代の外交、戦後の国際住宅地、現在の高級賃貸市場が重なっています。

元麻布の暗闇坂
元麻布の暗闇坂。撮影:江戸村のとくぞう/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

今回のコース概要

六本木ヒルズから元麻布へ入り、麻布ガーデンズWEST、菊池家住宅茶室、駐日リトアニア共和国大使館、狐坂・狸坂、元麻布テラス、ホーマットリビエラを通ります。一本松付近で大黒坂・暗闇坂・狸坂が集まる地形を見た後、大法寺、賢崇寺、元麻布ガーデン、パークコート元麻布ヒルトップレジデンスを経て、パティオ十番、麻布十番の由来碑、りそな銀行麻布支店付近へ下ります。

元麻布の地形と住宅地の成り立ちは、元麻布・南麻布はなぜ高級住宅街になった?暗闇坂・本村町貝塚を歩く歴史散歩でも詳しく紹介しています。

元麻布の高級住宅は、広さと賃料を見ると性格が分かる

元麻布では、低層で大きな住戸を持つ集合住宅が目立ちます。戦後、外国人駐在員や外交関係者を含む国際的な居住需要が高まり、欧米型の広い住戸を備えた賃貸住宅が定着しました。今回のルートでは、その変化を1980年代から2010年代の建物で見比べられます。

建物 竣工 住戸の広さの目安 賃料の目安
麻布ガーデンズ WEST 2015年 約167~302㎡ 約180~320万円/月。2026年9月の募集例は196.43㎡で260万円、211.61㎡で240万円、232.02㎡で320万円
元麻布テラス 1987年 162.83~339.35㎡ 約66~155万円/月。現在空室なしのためLIFULL HOME’SのAI予測賃料を目安に使用
ホーマットリビエラ 1983年 約135~329㎡ 約130~320万円/月。2026年に約329㎡・4LDKで320万円の募集を確認
元麻布ガーデン 1989年 80.60~165.34㎡ 約39~89万円/月。現在空室なしのためAI予測賃料を目安に使用
パークコート元麻布ヒルトップレジデンス 2001年 60.83~167㎡台 60.83㎡で33~59万円の募集履歴、119.76㎡で100万円前後~110万円の募集履歴。最大級住戸はこれを上回る水準が想定される

賃料は募集情報・過去履歴・推定値を組み合わせた目安です。成約賃料とは異なり、階数、眺望、改装状態、契約条件によって大きく変動します。

麻布ガーデンズ WEST

元麻布3丁目の麻布ガーデンズWESTは2015年竣工。低層住宅でありながら住戸は大型で、2026年9月には196~232㎡の4LDKが月240万~320万円で募集されています。集合住宅として日本で初めてLEED新築認証を取得した物件としても知られ、広さに加えて環境性能や共用サービスを価値に組み込んだ2010年代の高級賃貸です。

元麻布テラスとホーマットリビエラ

元麻布2丁目11-5の元麻布テラスは1987年竣工。162.83㎡から339.35㎡までの住戸が確認でき、200㎡を超える住戸が多くを占めます。現在の推定では約66万~155万円ですが、過去には大型住戸が月100万円台後半で募集された記録もあります。

近くのホーマットリビエラは1983年竣工です。ホーマットは1960年代から外国人エグゼクティブ向け住宅として展開されたシリーズで、元麻布の国際住宅地としての性格をよく伝えます。現在も約329㎡の4LDKが月320万円で募集されており、築40年以上を経ても大型住戸への需要が続いています。

元麻布ガーデンとパークコート元麻布ヒルトップレジデンス

元麻布1丁目2-13の元麻布ガーデンは1989年竣工。80㎡台の1LDKから165㎡台の3LDKまであり、現在の推定賃料は約39万~89万円です。完成から11年後の2000年に、麻布十番駅が開業しました。

隣接する元麻布1丁目2-12のパークコート元麻布ヒルトップレジデンスは2001年竣工。麻布十番駅が2000年に開業した直後の建物です。60.83㎡の1LDKでは33万~59万円、119.76㎡の住戸では100万円前後から110万円の募集履歴があります。1989年と2001年の住宅が並ぶ場所で、駅のない時代から地下鉄開業後へと変化した元麻布を比較できます。

菊池家住宅茶室|1965年の茶室に近代建築を見る

菊池家住宅茶室は1965年に完成し、1969年に改修された木造平屋建ての茶室です。設計は建築家の堀口捨己ほりぐちすてみ。2016年に登録有形文化財となりました。

三畳台目の小間と八畳の広間、その間に三畳の水屋を置き、栗材を多用しています。広間には桟のない大きなガラス戸を用い、簀子縁と庭を連続させました。照明や空調を天井に組み込む設計にも、伝統的な茶室を20世紀の住宅建築として再構成した特徴があります。

門と塀も登録有形文化財です。白川石を深い目地で積み、石の水平線と垂直線を意識した構成に堀口の設計が表れています。庭園も建物と一体で設計され、2017年に登録記念物となりました。

駐日リトアニア共和国大使館|元麻布の国際性を象徴する場所

駐日リトアニア共和国大使館は元麻布3丁目7-18にあります。2026年9月現在の駐日大使はオーレリウス・ジーカス氏。金沢大学で日本語・日本文化、早稲田大学で国際経営を学んだ経歴を持つ日本研究者でもあります。

日本は1922年にリトアニアを国家承認し、2022年には友好100周年を迎えました。両国の歴史で広く知られるのが杉原千畝すぎはらちうねです。第二次世界大戦期、リトアニアのカウナスで領事代理を務め、ナチスの迫害から逃れるユダヤ系難民へ日本通過ビザを発給しました。現在も両国交流を象徴する人物として位置づけられています。

狐坂・狸坂・暗闇坂|夜の麻布に残る坂名

元麻布には、狐坂、狸坂、暗闇坂、大黒坂、一本松坂など、地形と伝承がそのまま名前になった坂が集中しています。

狸坂は「人をばかす狸が出没した」と伝えられる坂で、東へ上るため旭坂とも呼ばれました。狐坂も、かつて寂しい場所で狐が人を化かしたという伝承を残します。暗闇坂は、両側に樹木が暗いほど茂っていたことから付いた名で、旧宮村町を通るため宮村坂とも呼ばれました。

一本松の付近では、一本松坂、大黒坂、暗闇坂、狸坂という異なる由来の坂が集まります。一本松は古来植え継がれてきた地域の目印、大黒坂は寺院の信仰、暗闇坂は植生、狸坂は動物伝承に由来します。住所表示以前の街では、こうした目印と物語が場所の記憶を支えていました。

坂を中心に元麻布・南麻布を歩くルートは、元麻布~南麻布ナイトウォークにもまとめています。

大法寺|大黒坂の名を生んだ「一本松の大黒様」

元麻布1丁目の大法寺には、現在も大黒天が祀られています。大黒天を祀る縁日はかつて「子の日」に開かれていましたが、縁日は現在行われていません。寺の前の大黒坂は、この大黒天に由来します。

港区元麻布の大法寺
元麻布の大法寺。撮影:Higa4/Wikimedia Commons/CC0 1.0

地元では「一本松の大黒様」と呼ばれ、港区七福神の一つとして知られます。坂名と信仰が直接つながる、麻布らしい場所です。

賢崇寺|佐賀鍋島家の江戸菩提寺

賢崇寺けんそうじは曹洞宗の寺院で、肥前佐賀藩鍋島家の江戸における菩提寺です。初代藩主鍋島勝茂なべしまかつしげが、1635年に23歳で亡くなった嫡男・忠直の菩提を弔うために建立しました。

本堂裏の鍋島家墓所は港区指定史跡で、約1,100㎡の墓域に一族の五輪塔31基が並びます。勝茂の死に際して殉死した重臣たちの墓30基も残り、江戸初期の大名家の葬制を伝えます。墓所は非公開です。

境内には二・二六事件に関わった人々を祀る「二十二士之墓」もあり、江戸の大名家史と昭和の軍事史が同じ寺に重なります。

パティオ十番と「きみちゃん」|商店街がつくった広場

パティオ十番は、麻布十番商店街の近代化が進んだ1980年代に整備された広場です。階段状の空間と樹木が商店街の中庭のような場所をつくっています。

1989年2月28日には、彫刻家の佐々木至ささきいたるによる「きみちゃん像」が設置されました。麻布十番商店街では、童謡「赤い靴」のモデルとされる岩崎きみと、麻布にあった孤児院との縁を紹介しています。像の足元に寄せられた浄財は、長年にわたり子どもたちを支援する寄付へつながっています。

麻布十番から広尾へ歩く別ルートでも、きみちゃん像、がま池、松方ハウスなどを巡っています。麻布十番から広尾へ|元麻布・南麻布の坂とがま池を歩く歴史散歩もあわせてご覧ください。

麻布十番の「十番」はどこから来たのか

「麻布十番」の由来には複数の説があります。港区が有力説として挙げるのは、江戸時代の古川改修工事でこの付近が第10番目の工区、土置き場、人足を出した地域だったというものです。特に1675年の古川改修で工区が十番目だったという説がよく知られています。

麻布十番は長く地域の俗称として使われ、1962年に周辺の旧町名をまとめる形で正式な町名になりました。1851年の麻布絵図と現在の街を比べると、古川と台地、寺院、坂の位置関係が分かります。詳しくは麻布絵図を徹底解説|麻布十番・善福寺・有栖川宮記念公園を古地図で読むで紹介しています。

麻布十番の歴史|駅がない時代から続いた商業地

麻布十番の大部分は古川に近い低地にあり、西北部は麻布台地の斜面につながります。江戸時代の河川改修と町場の形成を経て、近代には神楽坂と並ぶ山の手の繁華街として栄え、大正期には花街も生まれました。

ルート終盤では、りそな銀行麻布支店の壁面にある「麻布十番の歴史」の解説も見ます。由来碑と合わせると、古川沿いの町場から商店街、地下鉄開業後の街へ続く変化を一続きでたどれます。

1933年の麻布十番の街並み
1933年の麻布十番。博文館『大東京写真案内』より/Wikimedia Commons/Public Domain

1933年の麻布十番の写真には、現在とは異なる街路景観の中に、すでに商業地としてのにぎわいが写っています。戦後は商店街を中心に復興し、地域住民を主な顧客とする街として発展しました。

大きな転機は2000年です。東京メトロ南北線と都営大江戸線の麻布十番駅が開業し、長く鉄道駅のなかった街が六本木方面と直接結ばれました。今回のルートは、六本木側から元麻布の台地を越え、坂を下って麻布十番へ入ることで、この地形と都市の変化を歩いて確かめられます。

元麻布を歩くと、江戸から現代の東京が重なる

1965年の菊池家住宅茶室、1980年代の外国人向け大型住宅、現在のリトアニア大使館、江戸の坂名、大黒天を祀る大法寺、佐賀鍋島家の賢崇寺、そして低地に続く麻布十番商店街。同じ数キロの中に、時代の異なる東京が折り重なっています。

現地を自分のペースで歩くときは、TimeWalkで現在地から歩ける史跡を地図で探すこともできます。現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。

参考資料

  • 港区「麻布の坂」「地名の歴史(麻布地区)」
  • 文化庁 国指定文化財等データベース「菊池家住宅茶室」「菊池氏茶室庭園」
  • 外務省「駐日外国公館リスト 欧州」
  • 在日リトアニア共和国大使館「大使」
  • 港区立郷土歴史館「肥前佐賀藩主鍋島家墓所」
  • 港区観光協会「大法寺」「きみちゃん像」
  • 麻布十番商店街「商店街について」
  • 港区史「麻布十番(一~四丁目)」
  • 三井の賃貸、Sun Realty、LIFULL HOME’S、三井住友トラスト不動産の各物件情報・募集履歴