赤羽はなぜ「昼飲みの街」になったのか|軍都・鉄道・戦災・一番街・OK横丁の歴史

2011年夕方の赤羽一番街商店街

平日の昼すぎ、赤羽あかばね駅東口から一番街へ向かうと、バスと買い物客が行き交う商店街の中に、昼から暖簾を出す酒場があります。

一杯だけ、食事だけ、短時間の立ち飲みなど、利用の仕方はさまざまです。路地には、小規模な店が並ぶOK横丁があります。

赤羽が「昼飲みの街」「せんべろの街」と呼ばれる背景には、鉄道、軍都と工業、戦災復興、小規模な店舗、異なる生活時間が重なっています。

1885年に赤羽駅が鉄道の分岐点となり、明治後期からは北区に陸軍施設と軍需工場が集まりました。1945年の空襲後、住民と商人は駅東口の商店街を再建し、食料品、日用品、飲食を扱う小さな店が密集しました。

2000年代以降は、漫画、テレビ、雑誌、SNSが、既存の店と利用文化を「昼飲み」「せんべろ」として全国に広めました。

まず結論―昼飲みの街は七つの層からできた

赤羽あかばねが「昼飲みの街」と呼ばれるようになった背景には、次の七つの層があります。

街へ与えた影響
地形・水運 荒川、台地の縁、広い土地が交通・工業・軍事施設の立地を支えた
鉄道 1885年以降、東京北部と埼玉・東北方面を結ぶ人流をつくった
軍都・工業 軍人、工員、家族、運輸・商業従事者が暮らす大きな需要をつくった
戦災復興 焼け跡から生活物資と飲食を提供する小規模商店街が再建された
店舗・街区 一番街とOK横丁に、小さく入りやすい店と細街路が残った
生活時間 通勤、買い物、交替勤務、地域生活など、昼にも客がいる都市だった
メディア化 漫画・テレビ・SNSが既存の酒場文化を「昼飲み・せんべろ」として全国化した

七つの層は一つの制度や直接の系譜ではなく、異なる時代に形成された条件です。

赤羽は、通過するだけの駅ではなく、働き、暮らし、買い物をする人が昼にも集まる駅前でした。小さな店が食事と酒、短時間の利用に対応した営業文化が、後に「昼飲みの街」と呼ばれるようになりました。

地形と鉄道が赤羽をつくった

赤羽あかばねは東京23区の北端近くにあり、北に荒川あらかわ、東に岩淵・志茂の低地、西に武蔵野台地むさしのだいちの縁が続きます。

江戸時代の赤羽・岩淵いわぶち周辺は、江戸と北関東を結ぶ道、荒川の渡河、農村・宿場・物流と関係する地域でした。

近代化後は、広い土地、水、都心への近さ、鉄道敷設、北関東・埼玉方面への交通が、軍事施設、工場、住宅、鉄道拠点の立地条件になりました。

東京と北方地域を結ぶ交通・工業の拠点が、後に大きな生活商業地へ発展しました。

周辺の水辺と地形は、赤羽周辺を流れた稲付川の暗渠をたどる記事でも詳しく紹介しています。

1885年、赤羽駅が鉄道の分岐点になった

1885年3月、日本鉄道は品川―新宿―赤羽あかばね間を開通させました

品川線は、東海道方面と東北方面の鉄道を東京市街の西側から結び、赤羽駅は接続点として重要になりました。

鉄道の開通によって、乗換え客、通勤者、軍施設・工場への勤務者、商人、運送業者、駅前で食事や買い物をする人が集まりました。

  • 列車を乗り換える人
  • 沿線から東京へ通勤する人
  • 軍施設・工場へ通う人
  • 商品を運ぶ商人と運送業者
  • 駅前で食事や買い物をする人
  • 始発・終電・待ち時間を過ごす人
2020年雨天の赤羽駅東口駅前
赤羽駅東口駅前、2020年。撮影:nakashi/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

2020年の赤羽駅東口では、鉄道、バス、商業施設、商店街が一か所へ集まる交通結節点の姿を確認できます。

北区の2025年まちづくり資料は、赤羽駅周辺を区内最大のにぎわい・商業拠点と位置づけ、板橋、浮間、戸田、川口などを結ぶバス交通にも言及しています。

一番街は駅東口から数分の場所にあり、昼の人流を取り込める立地にあります。

赤羽はなぜ軍都になったのか

戦前の北区は、東京23区有数の軍都ぐんとでした。

北区公式資料によれば、区内には火薬、兵器、被服、軍靴などに関係する陸軍施設が集まり、軍用地は区域の一割近くを占めた時期がありました。

都心に近く、広い土地があった

東京中心部の施設を拡張するには、北側の台地・低地にまとまった土地が必要でした。

水を利用できた

火薬・工業施設には水が必要で、石神井川、荒川などの水系が利用条件になりました。

鉄道で人と物を運べた

軍需品、原料、兵員、職員を運ぶため、赤羽、十条、王子の施設を結ぶ軍用鉄道ぐんようてつどうも敷かれました。

東京北側の防衛・補給拠点だった

荒川を含む東京北部の地理は、防衛・兵站の観点から重要でした。

軍施設の周辺には、軍人、技術者、工員、運送業者、商店、下宿、家族が集まり、人口と雇用が赤羽・十条・王子の商業を支えました。

戦後、軍施設は廃止・接収・転用されました。

2010年の赤羽自然観察公園の園内
赤羽自然観察公園、2010年。撮影:あばさー/Wikimedia Commons/Public Domain。

赤羽自然観察公園は、旧自衛隊十条駐屯地用地の一部を公園化した場所です。

赤羽台に残る軍用地跡を歩いた記事と、十条・王子・赤羽を結ぶ北区の軍都史を歩く記事もあわせてご覧ください。

軍都は昼飲みの直接の起源なのか

軍都ぐんとと昼飲みの関係については、工場の夜勤を終えた労働者が朝・昼から飲み、早い時間から開く酒場が増えたという説明があります。

交替勤務、夜勤、早朝の運輸業、建設・市場・工場の変則勤務、平日休みのサービス業などは、夜以外の飲食需要を生みます。

  • 軍都・工業都市は、多数の労働者と多様な生活時間を生んだ
  • 駅前商業には、夜以外にも食事を必要とする客がいた
  • 戦後の商店街は、地域住民と勤務者の生活需要を受け止めた
  • その一部で、昼から酒も提供する営業が成立した可能性が高い
  • 現在の「昼飲みの街」というブランドは、さらに後の時代に形成された

1945年、戦災と物資不足が駅前商業を変えた

1945年、赤羽あかばね周辺は空襲で大きな被害を受け、住宅、商店、工場、軍施設、駅周辺の建物が失われました。

敗戦後は食料、衣料、燃料、住宅、仕事が不足し、駅前に生活物資を求める人と商売を始める人が集まりました。露店、仮設店舗、小さな市場では、飲食、修理、日用品などが扱われました。

闇市には統制品・公定価格を外れた取引が含まれ、露店市場には合法・非合法の多様な店がありました。復興商店街は、土地、道路、建物、組織を整え、恒久的な地域商業へ移る取り組みです。

北区の2025年赤羽駅周辺まちづくり資料は、赤羽の代表的商店街について、戦災で焼け野原となった街の繁栄と復興を住民が計画したことから始まったと説明しています。

新宿・上野・池袋・渋谷の闇市を写真と資料で比較した記事では、各地の違いを整理しています。

復興商店街から一番街へ

現在の赤羽一番街は、駅東口から北東へ続く商店街です。

酒場だけでなく、食料品、物販、薬局、サービス、飲食などが集まる生活商店街として発展しました。

地域史・商店街史では、終戦翌年から住民・商人による復興組織が動き、区画整理と複数商店会の再編を経て、1960年代に現在の一番街へつながる枠組みが整ったと説明されています。

  • 現在の一番街全域が一度に完成したわけではない
  • 全店舗が同じ復興組織から連続しているわけではない
  • 露店、仮設店、常設店舗の位置は時代によって変わった
  • 商店会の名称・区域と、利用者が呼ぶ「一番街」の範囲は必ずしも同じではない
1974年の赤羽駅と周辺市街地の空中写真
1974年の赤羽駅周辺。国土画像情報(カラー空中写真)(国土交通省)を基に作成/Wikimedia Commons。

1974年の空中写真では、赤羽駅が地上を走り、線路が駅東西の街を分けていました。復興から約30年後の商店街、住宅、駅、線路が密集した市街地を示しています。

駅東口の小さな区画が維持されたことは、小規模飲食店が残る条件になりました。

赤羽一番街は飲み屋街なのか、生活商店街なのか

一番街いちばんがいは「昼飲みの聖地」として紹介されますが、食料品、日用品、修理、食事など、地域の生活を支える商店街として発展しました。

飲食店と物販店が同じ通りにあり、食事客、買い物客、勤務を終えた人、休日の客、近所の常連、乗換え客が昼にも訪れます。

煮込み、焼き物、定食、軽食などを提供する店は、食事と酒を分けずに昼の需要へ対応できます。

一番街の昼飲みは、酒場の集積だけでなく、昼も人がいる生活商店街を基盤にしています。

OK横丁は闇市の名残なのか

一番街の近くに、細いOK横丁オーケーよこちょうがあります。

約100メートルほどの路地に小規模な飲食店が並び、1950年代に戦後市場・飲食街を背景として形成されたという地域紹介があります。

名称には「何でも食べられ、何でも飲めるからOK」など複数の説明があります。

  • 戦後復興期の小規模な飲食・商業集積を背景にしている
  • 駅と一番街に近い細街路へ小さな店が並ぶ
  • 大規模再開発では生まれにくい、短い間口と近い客席を持つ
  • 店と客の距離が近く、短時間利用や一人客を受け入れやすい

現在のOK横丁は、店の入れ替わり、建物改修、営業形態の変化を重ねる飲食街です。

なぜ赤羽では昼から飲める店が増えたのか

赤羽あかばねの昼飲み文化は、次の条件が組み合わさって成立しました。

巨大な交通結節点

駅とバスが東京北部・埼玉南部から人を集め、昼にも通勤、買い物、通院、用事、乗換えの人が訪れます。

生活商店街と飲食街が重なる

食料品店、日用品店、飲食店が同じ動線にあり、飲酒だけを目的にしない人も昼の店へ入りやすい環境です。

勤務時間が一様ではない

工場、運輸、建設、医療、介護、販売、飲食などの夜勤、早番、交替勤務、平日休みが昼の需要を生みます。

地域住民と常連がいる

近隣住民が食事、買い物、交流に利用し、観光客以外の需要を支えます。

小規模な店舗

小さな店は、少人数の客、短時間の利用、少量注文を受け入れやすい形態です。

「昼飲み」という言葉が客を呼ぶ

メディアや観光案内が、昼営業の店を地域体験として可視化しました。

2020年昼の赤羽にある立ち飲み店の外観と屋外席
赤羽の立ち飲み店、2020年。撮影:nakashi/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

写真は2020年9月の午後1時頃で、新型コロナウイルス流行期の屋外席を含みます。

これらの条件によって、昼に店を開けることと、昼に入ることが定着しました。

漫画とテレビは赤羽をどう変えたのか

2000年代以降、清野せいのとおるの漫画や、それを題材にしたテレビ番組、街歩き番組、雑誌、SNSによって、赤羽の店、人物、路地が全国的に知られるようになりました。

昼営業の店、常連中心の酒場、小さな横丁は以前から存在しました。メディアは地域の日常を訪問目的へ変え、客層を広げ、「昼飲み」を街のブランドにしました。

この変化には利点があります。

  • 地域外から客が来る
  • 商店街の知名度が上がる
  • 古い店と建物の価値が再発見される
  • 昼の時間帯にも消費が生まれる

一方、課題もあります。

  • 無断撮影
  • 常連客の居場所の変化
  • 行列と歩行者混雑
  • 店員や地域住民の見世物化
  • 「変な人がいる街」という消費
  • 過度な飲酒を勧める観光

旧軍用地は団地・公園・学校へ変わった

戦後、赤羽駅西側と北区西部の旧軍用地は、軍施設の廃止・接収・返還後に転用されました。

  • 公営・公団住宅
  • 赤羽台団地
  • 桐ケ丘団地
  • 学校
  • 公園
  • スポーツ施設
  • 自衛隊施設
  • 公共施設

赤羽駅西側には計画的な団地、道路、公共施設、大型商業施設が整備され、東側には戦災復興と小区画を基盤とする商店街・飲食街が残りました。

まとまった旧軍用地を再編できた西側と、小規模な権利・店舗が密集する東側では都市更新の方法が異なり、この違いが駅東口の一番街・OK横丁に小さな店が残る背景になりました。

公団住宅と戦後日本の住まいを解説した大型ガイドと、軍用地と戦災復興住宅から生まれた桐ケ丘団地の歴史も参考になります。

鉄道高架化は街をどう変えたのか

1974年の空中写真では線路が地上を走り、踏切や駅施設が東西の移動を制約していました。その後、赤羽駅周辺では鉄道高架化と駅施設の更新が進みました。

  • 踏切の解消
  • 東西移動の改善
  • 高架下空間の商業利用
  • 駅ビル・改札・バス動線の再編
  • 列車運行と道路交通の安全性向上

高架化によって駅前の人流も変わり、商店街は改札、出口、高架下店舗、大型商業施設を含む新しい動線の中で客を迎えるようになりました。

赤羽の昼飲み文化が全国的に知られた時期には、高架化後の便利な駅と戦後型の小規模街区が隣り合っていました。

再開発で一番街とOK横丁はどう変わるのか

赤羽あかばね駅周辺では、駅東口を含むまちづくり・再開発の検討が進んでいます。北区は2025年、赤羽駅周辺地区のまちづくり方針を策定しました。

目標には、にぎわい、交通、歩行者環境、防災、地域商業、住宅、公共空間などが含まれ、赤羽一丁目では市街地再開発事業・地区計画も進められています。

主な論点は次の通りです。

  • 木造・旧耐震建物の安全性
  • 細街路と避難経路
  • 火災時の延焼
  • 歩行者、自転車、搬入車両の競合
  • 駅と商店街の回遊
  • 住民の生活環境
  • 客引きと路上滞留
  • 小規模店が新しい建物へ入れる賃料・区画
  • 昼飲み観光と日常商業の共存

防災と歩行環境を改善しながら、小さい間口、店と路地の近さ、少額・短時間でも利用できる店舗を継続できるかが課題です。

東京各地の再開発を歴史と制度から整理した記事でも、都市更新の論点を解説しています。

古地図と空中写真で見る赤羽

赤羽あかばねの地図を時代順に比較すると、農村・宿場から鉄道、軍都、戦災復興、現在の市街地への変化を確認できます。

江戸の地図

赤羽村、岩淵宿、荒川、街道、台地と低地が描かれ、現在の駅前商店街はまだありません。

明治の地形図

1885年以後の赤羽駅と鉄道分岐、周辺農地・集落を確認できます。

大正・昭和前期の地図

陸軍施設、工場、軍用鉄道、住宅地の拡大が表れます。

戦災地図・戦後空中写真

焼失区域、仮設商業、道路・区画整理、軍用地転用を確認できます。

1974年の空中写真

地上線路、駅東西の街区、復興後の市街地が写っています。

現在の地図

高架化された駅、東西通路、大型商業施設、一番街、OK横丁、公園・団地を比較できます。

東京の古地図を現在地と重ねて読む方法もご覧ください。

地図で歩く赤羽

1.赤羽駅東口

鉄道とバスが集まる交通拠点で、一番街までの短い距離と昼の人流を確認できます。

2.赤羽一番街

商店街のアーチ、通り幅、店舗の間口と、物販・生活サービス・飲食店の共存が見られます。

3.OK横丁

短く細い路地に小規模店舗が並びます。

4.赤羽緑道公園

軍用鉄道ぐんようてつどうのルートを道路・公園として再利用した場所です。

5.赤羽自然観察公園

旧軍用地・自衛隊用地の戦後転用を示す場所です。

6.赤羽台団地・周辺

旧軍用地から計画住宅地へ変化した駅西側の都市構造を確認できます。

7.桐ケ丘方面

旧軍用地、戦災者住宅、公営住宅、団地再生の歴史と、駅東口の小規模商店街との違いをたどれます。

東京の歴史散歩コース集では、ほかの街歩きも紹介しています。

よくある疑問

赤羽は「せんべろ発祥の地」ですか?

明確な記録はありません。少額で楽しめる大衆酒場・立ち飲みは各地にあります。赤羽は、後年のメディア・観光情報によって「せんべろの街」として広く知られた代表地域の一つです。

軍需工場の夜勤明け労働者が昼飲みを始めたのですか?

背景の一つと考えられます。北区には軍施設・軍需工場と多数の労働者がいました。交替勤務は昼の飲食需要を生みまました。

赤羽一番街は闇市の跡ですか?

戦災後の露店・小商い・復興商業を背景にしていますが、「闇市がそのまま現在まで残った」とは言えません。住民・商人による復興、区画整理、店舗化、商店会再編、建て替えを経ています。

OK横丁はいつできたのですか?

1950年代に戦後市場・飲食街を背景として形成されたとする地域紹介があります。

「OK」という名前は何の略ですか?

「何でも食べられ、何でも飲めるからOK」などの説明があります。

なぜ昼から営業できるのですか?

駅・バスの人流、生活商店街、地域住民、勤務時間の多様性、小規模店舗、食事と酒を同時に提供する業態、短時間利用、後年の観光需要が重なったためと考えられます。

漫画やテレビが赤羽を昼飲みの街にしたのですか?

既存の文化を全国的に可視化・ブランド化しました。漫画・テレビ以前にも昼営業や地域密着の酒場はありました。メディア後に、地域外の来訪者が「昼飲み」を目的に訪れる度合いが高まりました。

まとめ―赤羽は「昼から酔う街」ではなく、昼にも人がいる街だった

赤羽あかばねは、1885年の鉄道開通で東京北部と埼玉・東北方面を結ぶ交通拠点となり、明治後期からは陸軍施設と軍需工場を抱える軍都・工業都市へ発展しました。

1945年の空襲後、住民と商人は駅東口に商店街を再建しました。一番街とOK横丁には、生活物資と飲食を扱う小規模な店が集まり、駅・バスの人流、地域住民、異なる勤務時間、食事と酒を分けない営業が昼の需要を支えました。

2000年代以降、漫画、テレビ、雑誌、SNSが既存の酒場文化を「昼飲み」「せんべろ」として広めました。軍都、戦災復興、生活商店街、小規模店舗、メディア化という異なる歴史が重なり、赤羽は昼にも人が集まる街になりました。

参考文献・資料

  1. 北区「赤羽駅周辺地区まちづくり基本計画」
  2. 北区観光ホームページ「赤羽エリア」
  3. 北区観光ホームページ「赤羽一番街商店街」
  4. 赤羽一番街商店街振興組合「赤羽一番街公式サイト」
  5. 東京都・東京観光財団 GO TOKYO「赤羽一番街商店街」
  6. 国立公文書館デジタルアーカイブ「日本鉄道会社品川線開業免許関係資料」
  7. 国立国会図書館「鉄道の開業とネットワークの拡大」
  8. 北区「北区平和マップ・軍都としての北区」
  9. 北区立中央図書館「北区の軍事施設・軍都関係資料」
  10. 北区「赤羽緑道公園」
  11. 北区「赤羽自然観察公園」
  12. 北区観光ホームページ「赤羽自然観察公園」
  13. 北区立中央図書館「北区の歴史はじめの一歩・赤羽東地区編/赤羽西地区編」
  14. 北区「赤羽一丁目第一地区市街地再開発事業」
  15. 北区「赤羽一丁目地区・現在の市街地再開発」
  16. 北区「赤羽駅東口地区地区計画」
  17. 北区「赤羽駅周辺の客引き行為等防止対策」
  18. テレビ東京「出没!アド街ック天国 赤羽」
  19. タイムアウト東京「OK横丁」
  20. 三菱地所ハウスネット「赤羽一番街と赤羽の街の歴史」
  21. 日経リバイブ「赤羽一番街商店街の歴史」
  22. 三井住友トラスト不動産「赤羽・王子の街の変遷」
  23. Wikimedia Commons「赤羽一番街 – panoramio (1)」
  24. Wikimedia Commons「Akabane Station east exit area 2020-09-02」
  25. Wikimedia Commons「Akabane sta 1974」
  26. Wikimedia Commons「Akabane Nature Observatory Park1」
  27. Wikimedia Commons「Tachinomiya Akabane, Tokyo, 2020-09-02」