相模流里神楽の歴史|1873年に独立した萩原社中と2024年の東京都文化財指定

板橋区四葉を拠点に活動する萩原由郎社中(はぎわらよしおしゃちゅう)は、江戸近郊で発展した「相模流里神楽(さがみりゅうさとかぐら)」を受け継ぐ神楽師の集まりです。明治6年(1873)に独立した初代門次から五代にわたり、神社の祭礼などで神話に題材をとった舞を演じてきました。令和6年(2024)3月25日、相模流里神楽は東京都指定無形民俗文化財となりました。

里神楽は神話を仮面で演じる芸能

里神楽は、神社や地域の人々の間で行われてきた神楽です。江戸近郊では、神話をもとにした演目を、面を着けた演者が笛や太鼓などの囃子に合わせて舞う「江戸の里神楽」が発展しました。演者は基本的に言葉を発さず、身体の動きや表情のある面、囃子の音によって物語を進めます。

神楽は神社の祭礼で神を楽しませる「神賑(かみにぎわい)」として奉納される一方、神話の場面を演じる芸能として参拝者や地域の人々にも親しまれました。舞の型や演目の進め方は、神楽師から次の世代へ実演を通して受け継がれます。

相模国から武蔵国へ広がった相模流

相模流里神楽は江戸時代後期に相模国、現在の神奈川県から、武蔵国の南西部にあたる多摩地域や埼玉県南部にかけて広く伝わりました。江戸近郊の農村では、神社の祭礼とともに神楽の上演が続き、地域ごとに芸能を担う家や社中が活動しました。

板橋の萩原社中も、この相模流を受け継ぐ一つの系譜です。相模国で修業した神楽師が、武蔵国へ活動の場を移したことから社中の歴史が始まります。

1873年、初代門次が江古田の原で独立

初代門次(もんじ)は相模で神楽の修業を積み、明治初年に東京へ移りました。そして明治6年(1873)、当時の多摩郡江古田の原、現在の中野区江原町で神楽師として独立しました。萩原社中は、門次を初代として五代約150年にわたり神楽の技術を受け継いできました。

神楽師が神社を巡って舞う活動には、演目を覚えることだけでなく、衣装や面を保管し、囃子方と呼吸を合わせて舞台を進める技術も必要です。こうした技能の継承が、代を重ねて続いています。

2024年3月、東京都指定無形民俗文化財に

相模流里神楽は、以前から板橋区指定無形民俗文化財として保存されていました。東京都教育委員会は令和6年(2024)3月25日に東京都指定無形民俗文化財(民俗芸能)とし、萩原由郎社中を保存団体に位置付けました。伝承地は板橋区です。

東京都の文化財保護審議会は、江戸近郊に伝わった里神楽の歴史的変化と地域的特色を知るうえで、相模流の伝承を重要な資料として評価しました。区指定から都指定へと位置付けが変わったため、古い団体案内に区指定と記されていても、2024年以降は東京都指定として扱います。

旧粕谷家住宅で行われた記念公演

都指定となった令和6年(2024)11月3日には、徳丸七丁目の旧粕谷家住宅で相模流里神楽の記念公演が行われました。江戸時代の茅葺民家を舞台に、面や衣装を用いる神楽を紹介する催しでした。旧粕谷家住宅の歴史では、享保8年(1723)に建てられた民家を紹介しています。

板橋区内には別系統の芸能として、成増の住民による成増里神楽も伝わっています。成増里神楽は成増里神楽保存会が保持する区指定無形民俗文化財で、相模流里神楽とは保存団体と指定区分が異なります。

伝承地と鑑賞の機会

萩原由郎社中の伝承地は板橋区で、東京都の文化財紹介では保存団体の所在地を四葉2丁目30番2号としています。所在地は常設の見学会場を示すものではなく、神楽を鑑賞できるのは祭礼や文化財公開事業などの上演時です。開催予定は板橋区や上演先の神社による案内を確認してください。

四葉周辺の寺社や民俗芸能については、赤塚・成増周辺の歴史と文化財も参照できます。

参考資料