横須賀市追浜の貝山緑地地下には、総延長約2kmに及ぶ旧日本海軍の地下施設、貝山地下壕が残っています。所在地は横須賀市浦郷町5丁目2931番63で、横須賀市が所有・管理しています。太平洋戦争末期、追浜に集中していた海軍航空施設を空襲や本土決戦に備えて守るために造られた軍用地下施設です。追浜・夏島に近い横浜市金沢区の野島には、航空機を空襲から守るため野島山を貫いて造られた野島掩体壕も残っています。
内部には、軍用トラックが出入りできる規模の大空間、倉庫や会議室に使われていたと考えられる区画、かまど跡などが残ります。2011年3月の東日本大震災で天井の一部が剥離・崩落し、長く立入禁止となりました。その後、3次元レーザー測量と地質調査、2020年度の安全整備を経て、2021年6月から一部区間がガイド付きで限定公開されました。
ただし2026年8月22日、よこすかシティガイド協会は地下壕内の落石を理由に、定期「貝山地下壕ツアー」を安全確認が完了するまで休止すると発表しました。横須賀市公式ページも同協会の定期見学ツアーと依頼ガイドを「中止」と案内しています。任意団体アクションおっぱまは7~9月の見学会を猛暑対策で休止し、10月以降の日程を改めて案内するとしています。2026年9月2日現在、見学状況は団体ごとに異なり、最新情報の確認が必要です。
横須賀市内では久里浜駐屯地にも旧海軍通信学校地下壕が残り、2025年から一部の一般公開が始まりました。2026年9月現在は地下壕内部の見学が一時中止されています。

貝山地下壕とは|追浜の地下に残る約2kmの軍事施設
貝山地下壕は一本の長いトンネルではなく、複数の主坑道と横坑が組み合わさった地下施設です。横須賀市の旅行会社向け資料は総延長を「2kmを超える」とし、高さ10m・幅7mほどの空間や、倉庫・会議室に使われていたと思われる部屋、かまど跡を紹介しています。神奈川県も「県内の戦争関連史跡・建造物」の一つとして掲載しています。
一般住民が空襲時に避難するための防空壕とは性格が異なります。全地連「技術フォーラム2018」の報告は、第二次世界大戦末期に海軍が「本土決戦に備え、機能移転を目的に築いた軍事施設」と位置付けています。横須賀市も、当時追浜にあった海軍施設の避難・防衛のために掘られたと説明しています。
地下壕の個々の部屋が何に使われたかは、確認できる資料の範囲に差があります。公的資料が「倉庫や会議室に使われていたと思われる」とする区画は、その推定の範囲で見る必要があります。貝山地下壕全体を「司令部」や特定兵器の工場と一括して扱う資料は確認できません。
追浜はなぜ日本海軍航空の一大拠点になったのか
追浜の地下にこれほど大きな施設が造られた背景には、海軍航空の研究・教育・試験・運用機能が追浜と夏島周辺に集中していたことがあります。1909年、陸海軍共同の臨時軍用気球研究会が設けられ、日本軍の航空研究が本格化しました。海軍は1912年以降、独自の航空研究を進め、1916年4月1日に横須賀海軍航空隊を創設しました。
創設時の横須賀海軍航空隊は、水上機22機、発動機33基、格納庫4棟などを備えたとされます。当初は水上機中心でしたが、艦上機や陸上機が発達すると、海面の埋め立てと陸上飛行場整備が必要になりました。1923年以降、追浜沖・夏島周辺の埋め立てが進み、夏島は陸続きとなり、最終的には長さ約1,200m級の滑走路を持つ航空基地へ発展しました。
横須賀の海軍基地全体と追浜航空基地は同じものではありません。横須賀には軍港・工廠・学校・航空関連施設など多様な海軍機能があり、そのうち追浜は海軍航空の研究、教育、試験、飛行運用を担う一大拠点になりました。貝山地下壕は、この航空拠点の背後にある丘陵地に造られています。
海軍航空廠から第一海軍航空技術廠へ
1932年4月1日、海軍は追浜に海軍航空廠を設置しました。アジア歴史資料センターは、航空機の設計・実験、材料研究、調査などを担い、総務、化学、発動機、兵器、飛行実験、飛行機などの部門で構成された機関と説明しています。1940年4月5日、各地の特設航空廠との混同を避けるため海軍航空技術廠へ改称されました。
戦争末期には第一海軍航空技術廠へ再編され、米国戦略爆撃調査団(USSBS)は終戦後、この施設を「First Naval Air Technical Arsenal」として調査しました。USSBSの尋問資料「Organization and Operation of First Naval Air Technical Arsenal」(Serial No.384 / Report No.2-s)には、日本海軍の航空機研究体制、捕獲・墜落した米軍機の調査、飛行試験、ロケット戦闘機秋水やジェット機橘花などに関する記録があります。
この記録は、貝山地下壕が造られた追浜が、日本海軍航空の技術研究拠点だったことを示す資料です。秋水や橘花、捕獲米軍機の研究を貝山地下壕の内部で行っていたという意味ではありません。

貝山地下壕はいつ、何のために造られたのか
横須賀市は、貝山地下壕を「太平洋戦争末期に当時追浜にあった海軍施設の避難・防衛のために掘られた」と説明しています。地域の観光・ガイド資料には昭和18~19年(1943~44年)頃に敷設されたとする説明があり、戦争末期に大規模な地下化が進んだとみられます。
背景には本土空襲への備え、海軍航空施設の機能分散、本土決戦への備えがありました。地上の格納庫、研究施設、通信・補給機能などは攻撃を受ければ一度に失われるおそれがあります。丘陵内部へ機能を移すことは、航空拠点を維持するための防護策でした。
現在確認できる内部遺構には、大型車両が通れる規模の区画、倉庫や会議室と考えられる部屋、かまど跡などがあります。横須賀市の資料では水槽や生活関連の設備とみられる痕跡も紹介されています。用途が確定していない区画は、推定と事実を分けて見る必要があります。
同じ海軍の地下施設でも、日吉台地下壕は連合艦隊司令部などの指揮中枢として使われました。貝山地下壕は追浜の海軍航空拠点を避難・防衛し、機能を地下化するための施設で、用途が異なります。また、浅川地下壕は中島飛行機の航空機エンジン地下軍需工場として整備された施設で、こちらも性格が異なります。
地下壕の構造|A・B・C地区と上部坑道
川崎地質の「3次元レーザ測量データを活用した坑道内安全対策施設の検討」は、地下壕をA地区、B地区、C地区、上部坑道に分けています。地下に平面的な通路が並ぶだけでなく、上下二段の坑道が近接する場所もある立体的な構造です。

| 地区 | 主な特徴 |
|---|---|
| A地区 | 丘陵南側。4本の主坑道を中心に格子状に広がる最大規模の区画。主坑道は幅5~10m、高さ5~8m程度で、最大幅12m・最大高さ10m。主坑道間は約5.5~7.5m。上下二段の坑道があり、上下坑道間の岩盤が約1.8mの場所もあります。 |
| B地区 | 丘陵北側。公開対象として安全対策が検討された主要区画。主坑道幅約4.8~5.3m、高さ最大約4.6m。2か所の分岐があり、横坑や広い部屋が接続します。 |
| C地区 | 丘陵北東端の格子状坑道。安定上の問題があり、坑口が塞がれている区画があります。 |
| 上部坑道 | A地区上方。幅約1.5~2.4m、高さ約1.9~2.5m。A地区との位置関係を3Dデータで把握しています。 |
2021年に限定公開されたB地区について、横須賀市広報は幅5~7mほどの広い通路、約3m幅の横坑、格子状の通路、コンクリート仕上げの広い部屋、倉庫と推測される部屋、かまど跡などを紹介しています。公開範囲は資料によって約130m、約200mなど表記に違いがありますが、総延長2km超のうち安全対策を施したごく一部です。
崩落から限定公開まで|地質・3D測量・安全整備
地質と断層が現在の落石問題につながっている
貝山緑地周辺は上総層群の野島層と浦郷層で構成され、地下壕周辺には主として野島層が分布します。坑内では凝灰質砂岩、凝灰質泥岩、凝灰質シルト岩、貝殻片を多く含む砂層、火山灰層、不整合面、断層などが確認されています。
地層ごとに岩の硬さが違うため、境目から岩が剥がれたり、天井の岩塊が落ちたりする危険があります。2018年の技術報告は、坑道内に過去の落石が点在するとし、B地区では低角度の逆断層「断層1」と別の逆断層「断層2」を確認しています。
2011年3月の東日本大震災では、断層1周辺で天井の剥離崩壊が発生しました。報告書では規模を幅約3m、長さ約6m、厚さ約20~30cmとしています。ここは地層のずれが大きく、最も不安定な区間の一つと評価されました。地震後、横須賀市は地下壕への立ち入りを禁止しました。
3次元レーザー測量で地下壕全体を調べた
横須賀市は2016年度、今後の公開に向けた検討資料を得るため、3次元レーザー測量と落石調査を実施しました。2017年度には、その点群データを使って坑道内部の形状、地質構造、坑道同士の距離、地表から坑道までの土の厚さ、不安定箇所を詳しく調べました。
3Dデータにより、A地区と上部坑道の上下関係、坑道間隔、アーチ形状が崩れている区間、低土被り区間などを立体的に確認できました。暗い坑道内を目視するだけでは把握しにくい位置関係を数値化し、安全な公開ルートを決める材料にした点が重要です。
2018年の報告では落石リスクを複数の要因に分類し、天井付近の地層境界、断層周辺、アーチ形状が崩れた区間などを評価しました。対策として門型鋼製通路、吹付けによる岩盤保護、危険岩塊直下への立入規制などを検討しています。3次元レーザー測量は記録保存だけでなく、安全対策の設計に直接使われました。
横須賀市は約8,000万円を予算化して公開整備した
横須賀市の2020年度予算重点施策では、「貝山地下壕の整備」に80,786千円、約8,079万円を計上しました。目的は「観光資源として、貝山地下壕を活用するために、地下壕が安全に公開できるよう整備を行う」ことで、落石対策工事、通信設備工事、電気設備工事が挙げられています。
予算額と実際の支出額は別です。2020年度決算資料では、工事などの活動経費として58,253千円、約5,825万円が計上されています。約8,000万円は当初の予算規模、約5,825万円は決算上の活動経費として区別できます。
整備には神奈川県自治基盤総合補助金が使われ、横須賀市は川崎競馬の収益配分金を財源とする補助制度を活用したと説明しています。貝山地下壕は、横須賀の歴史資源を点ではなくルートとして巡る「よこすかルートミュージアム」の一部としても活用されました。
2021年、約10年ぶりにガイド付き限定公開
2020年度の整備を経て、横須賀市は2021年6月から貝山地下壕の一部をガイド付きで限定公開しました。自由入場ではなく、認定・公認のガイド団体が案内し、人数を制限して見学する方式です。ヘルメットなどの安全装備を用い、公開ルートも安全対策を施した区間に限られました。
横須賀市広報が紹介したB地区には、幅5~7m程度の広い通路、約3m幅の横坑、格子状通路、コンクリート仕上げの広い部屋、倉庫と推測される部屋、かまど跡があります。全2kmを一般開放したのではなく、安全性を確認した一部をガイド管理のもとで見せる公開でした。
市民の保存運動が一般公開につながった
貝山地下壕の保存と公開を長く求めてきた市民団体の一つが「貝山地下壕保存する会」です。横須賀市立市民活動サポートセンターの登録情報では、2002年1月設立。横須賀市内外の戦争遺跡保存を目的とし、月1回程度の学習やフィールドワークを続けています。2026年3月更新データでは会員6人、60~70代中心とされています。
市民活動団体の資料には、戦争遺跡を保存し一般公開すること、指定遺跡化を求める活動、旧海軍航空技術廠本庁舎の保存運動などが記録されています。貝山地下壕は、行政が最初から観光施設として整備した場所ではありません。保存・公開を求める活動が続く中で、地質・安全調査、3D測量、大規模整備、ガイド付き公開へ進みました。
神奈川県は貝山地下壕を戦争関連史跡・建造物として紹介しています。一方、2026年9月時点で、貝山地下壕そのものが国・県・市の指定史跡になった事実は確認できません。歴史資源としての活用と文化財指定は別の制度です。
敗戦後の追浜|米軍調査・基地接収・GHQ/SCAP管理
1945年、米軍は追浜の航空技術を調べた
敗戦後、USSBSは日本の軍需生産や航空技術を調査しました。第一海軍航空技術廠については「Organization and Operation of First Naval Air Technical Arsenal」(Serial No.384 / Report No.2-s)が残り、同廠で航空機研究に関わった海軍大尉への尋問を収録しています。
尋問記録には、日本海軍の航空機研究体制、飛行試験、捕獲・墜落したF4F、F4U、SB2C、TBF、F6F、P-40E、A-20Aなど米軍機の調査、秋水、橘花に関する研究が現れます。追浜が航空機の運用基地だけでなく、研究・試験の中枢だったことを具体的に示します。
USSBSは戦争・軍需産業・航空技術を調べる調査組織で、後に占領統治を行ったGHQ/SCAPとは役割が異なります。また、この尋問資料に登場する航空研究を貝山地下壕内部で行っていたと結び付けることはできません。
1945年8月30日、横須賀基地と航空基地は米軍に接収された
1945年8月30日、米軍は横須賀海軍基地と航空基地、周辺軍事施設の占領を開始しました。米海兵隊の公式戦史は横須賀での上陸を「Yokosuka Occupation」として記録し、作戦報告「Occupation and Securing of the Yokosuka Naval Base and Airfield」を主要資料に挙げています。米海軍の公式報告では、約1万人の海兵隊員と海軍要員が横須賀基地と周辺の要塞島を占領したとされています。
同日、第一海軍区司令長官側から米軍側へ横須賀基地が引き渡され、基地に星条旗が掲揚されました。米海軍歴史遺産司令部には、引き渡し時の写真や記録が残っています。


この接収によって、追浜の海軍航空施設も占領軍の管理下へ移っていきました。ただし、米軍が貝山地下壕そのものを特定の司令部や施設として使用したことを示す直接資料は、今回確認した資料にはありません。
GHQ/SCAPは第一海軍航空技術廠を管理対象にした
占領統治が進むと、GHQ/SCAPは日本の航空機工場、軍需工廠、研究施設を管理対象にしました。1946年1月20日のSCAPIN-629「Custody, Control and Protective Maintenance of Japanese Aircraft Plants, Arsenals and Laboratories」は、指定施設を連合国最高司令官の「custody and control」に置く命令です。
付属一覧には「FIRST NAVAL AIR TECHNICAL ARSENAL」が記載され、横須賀市の施設として管理対象になっています。設備や機械を勝手に移動させないよう保全することも求められました。USSBSが戦争中の航空研究を調べたのに対し、GHQ/SCAPは敗戦後の占領統治と施設管理を担いました。占領政策全体については「GHQ側から見た戦後日本」で詳しく解説しています。
戦後、軍用地は工業地帯へ変わった
敗戦後、追浜・夏島・浦郷周辺の旧海軍施設は、占領軍による接収、返還、民間利用への転換という段階を経ました。広大な旧軍用地と造成地は、戦後の工業地域形成の基盤の一つとなり、現在は日産自動車追浜工場をはじめとする工場、公共施設、住宅地などが広がっています。
旧海軍用地が一括してそのまま現在の工場へ変わったのではありません。接収と返還、区画ごとの転用を経て土地利用が変化しました。その中で、丘陵そのものを掘った貝山地下壕は消えず、工業地帯や住宅地に囲まれた貝山緑地の地下に残りました。
2026年現在、貝山地下壕は見学できる?
2026年9月2日現在、貝山地下壕を「通常どおり見学できる」とは案内できません。最新情報を団体別に確認すると、少なくともよこすかシティガイド協会の定期ツアーは地下壕内の落石により休止中です。
| 案内主体 | 2026年9月2日時点で確認できる状況 |
|---|---|
| 横須賀市 | 2021年6月からガイド付き限定公開と案内。一方、よこすかシティガイド協会の定期見学ツアー・依頼ガイドは現在中止と記載。 |
| よこすかシティガイド協会 | 2026年8月22日更新で、地下壕内落石のため「安全確認が完了するまで休止」と発表。 |
| 任意団体アクションおっぱま | 旧NPOの活動を継承。7・8・9月の見学会は猛暑対策で休止し、10月以降の日程は改めて案内すると掲載。申込フォームは全日程締切表示。 |
| 猿島公園専門ガイド協会 | 確認できた貝山ツアー案内は2025年日程が中心。2026年9月2日時点の実施可否は最新告知を直接確認する必要があります。 |
旧NPO法人アクションおっぱまは2026年4月15日の臨時総会で解散を決議し、7月10日に清算結了、8月13日に法務局で清算結了登記が完了したと団体サイトが報告しています。活動を引き継ぐ任意団体「アクションおっぱま」は6月に発足し、貝山地下壕のガイド、一般公開エリア拡大を横須賀市へ働きかける活動、海軍航空技術廠跡の見学企画、歴史を語り継ぐ人材育成などを掲げています。
今回の落石による休止は「永久閉鎖」や「廃止」を意味しません。一方で、再開時期は安全確認の結果に左右されます。訪問を計画する際は、横須賀市と各ガイド団体の最新告知を確認するのが確実です。
貝山地下壕は今後どうなるのか
横須賀市は、貝山地下壕を観光・歴史資源として安全整備し、限定公開してきた実績があります。今後も課題になるのは、落石や地質リスクを継続的に点検しながら、どの区画まで安全を確保して公開できるかです。2011年の崩落、2016年度の3D測量、2020年度の整備、2026年の新たな落石という経過からも、安全対策が一度の工事で終わる施設ではないことが分かります。
市民側では、貝山地下壕保存する会が戦争遺跡の保存・公開・指定遺跡化を求める活動を続けています。任意団体アクションおっぱまも一般公開エリアの拡大、貝山緑地の整備、海軍航空技術廠跡の見学企画などを掲げています。これらは市民団体・ガイド団体の活動方針や要望であり、横須賀市が全2kmの全面公開を正式決定したという意味ではありません。
2026年9月時点で、全2kmの全面公開、国・県史跡指定、大規模博物館建設が決定した事実は確認できません。現実的な焦点は、戦時中の坑道を保存しながら、落石・断層・岩盤劣化のリスクを評価し、見学者の安全を確保できる範囲をどう広げるかにあります。
まとめ|海軍航空の拠点から、保存と安全公開の現場へ
追浜は1916年の横須賀海軍航空隊創設から航空基地・研究拠点として拡張され、1932年の海軍航空廠、1940年の海軍航空技術廠へと機能を集積しました。戦争末期、その拠点を守るために貝山地下壕の大規模な地下化が進み、敗戦後は米軍接収と占領軍による施設管理、旧軍用地の転換へ時代が移りました。
戦後は市民の保存活動と行政の調査が重なり、2011年の崩落後には3Dレーザー測量と安全工事を経て、2021年に限定公開が実現しました。2026年には再び落石によるツアー休止が生じています。約80年前の地下施設をどこまで安全に残し、次世代に公開できるかは、現在も続く課題です。
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主な参考資料
- 横須賀市「貝山緑地(貝山地下壕)」
- 横須賀旅行会社用サイト「貝山地下壕」
- 横須賀市『広報よこすか』2021年4月号
- 横須賀市「令和2年度予算重点施策」
- 横須賀市「令和2年度決算」環境政策部
- 神奈川県「県内の戦争関連史跡・建造物」
- アジア歴史資料センター「海軍航空技術廠」
- United States Strategic Bombing Survey, “Organization and Operation of First Naval Air Technical Arsenal,” Serial No.384 / Report No.2-s
- GHQ/SCAP, SCAPIN-629
- 小林優起・中山健二・森口安宏「3次元レーザ測量データを活用した坑道内安全対策施設の検討」全地連「技術フォーラム2018」高松
- 横須賀市立市民活動サポートセンター「貝山地下壕保存する会」
- アクションおっぱま
- よこすかシティガイド協会
- Naval History and Heritage Command “Occupation of Japan”

