羽田空港へ向かう飛行機の音が聞こえる大田区の東側。産業道路から東へ進むと、トラックが行き交う道路、低い工場、業務施設、高層の都営住宅が近い距離に現れます。
ここは東糀谷6丁目です。
町工場があり、物流施設があり、空港関連の仕事もあります。2012年には、精密加工や機械金属系の企業を集める集合型工場「OTAテクノCORE」も開設されました。
働く場所が失われた町には見えません。
それにもかかわらず、2020年国勢調査では、東糀谷6丁目の住民に占める65歳以上の割合は64.0%でした。東京都議会の都市整備委員会では、東京23区の約3,000町丁目の中で最も高かった数字として紹介されています。
なぜ、空港と工場の隣にある町で、住民の3人に2人近くが65歳以上になったのでしょうか。
答えは、町工場の衰退だけでは説明できません。
東糀谷6丁目では、働く場所と住む場所が同じ町丁目にありながら、そこで働く人と、そこに住む人が別々の集団になっています。そして、住民の多くが暮らす大規模な都営住宅では、同じ時代に入居した世代が、建物とともに年齢を重ねました。
この町を理解する鍵は、「工業の時間」と「住宅の時間」のずれにあります。
30秒で分かる東糀谷6丁目
東糀谷6丁目の高齢化率64.0%は、2020年国勢調査による数字です。
この町丁目には、大きく二つの性格があります。
一つは、工場、物流、業務、航空関連施設等が集まる働く場所です。
もう一つは、8~9番を中心とする都営東糀谷六丁目アパートです。建替え前は833戸規模とされる大規模な都営住宅で、居住人口の多くがここへ集中してきました。
工場や空港関連施設で働く人が若くても、別の地域から通勤していれば、東糀谷6丁目の住民統計には入りません。
一方、都営住宅では、高度経済成長期前後に同じ世代が大量に入居し、その後も長く住み続けました。子どもが独立すると、親世代だけが残る世帯も増えます。
つまり、64.0%という数字は、
- 居住人口が大規模都営住宅へ集中している
- 同時期の入居世代が一斉に高齢化した
- 長期居住によって世帯交代が緩やかである
- 昼間に働く通勤者は住民統計に入らない
という条件が重なって生まれました。
町全体が無人になったわけでも、働く場所が消えたわけでもありません。
一つの町丁目に二つの町がある
大田区の公式な自治会・町会区域を見ると、東糀谷6丁目の特徴がよく分かります。
1~7番は「東糀谷四・五・六町会」に属します。
8~9番は「東糀谷六丁目都営住宅自治会」の区域です。
町丁目は一つでも、地域組織の単位が分かれています。1~7番側には工場、業務施設、物流施設、福祉施設等が多く、8~9番側には都営住宅の住棟が集まります。
もちろん、1~7番が全て工場で、8~9番が全て住宅という単純な境界ではありません。それでも、現在の航空写真を見ると、住宅群と大規模な業務用地が近い距離で並ぶ構造が分かります。
地図上では同じ東糀谷6丁目です。
しかし、昼間に多くの人が働く区域と、夜間に住民が生活する区域では、集まる人の種類が異なります。
工場や物流施設の従業者が別の町から通勤していれば、彼らは東糀谷6丁目の居住人口には数えられません。仕事が増えても、そのことだけで住民の高齢化率が下がるわけではないのです。
用途地域、工業地、住宅、道路を街歩きから読む方法は、「街歩きが楽しくなる宅建入門」で詳しく解説しています。
海苔の海辺から工場の町へ
現在の糀谷・羽田周辺は、工場と空港の町として知られています。
しかし、江戸時代から明治時代にかけて、大田区の海辺を代表する産業の一つは海苔養殖でした。
東京湾の浅い海を使って海苔を育て、干し場で乾燥させ、江戸・東京の食文化を支えました。沿岸部の人々にとって、海は景色ではなく仕事場でした。
大正時代になると、東京湾沿いへ工場が進出します。1923年の関東大震災後には、東京中心部から多くの工場が大田区へ移ってきました。
戦時中は、戦車や機関銃等の軍需品を作る工場が増えます。敗戦後は、鍋、弁当箱、洗面器、リヤカー、農具等、人々の生活と復興に必要な製品へ生産が切り替わりました。

1945~1950年の空中写真は、現在の高層住宅や大規模業務施設が整う前の土地を示しています。
個々の建物や海岸線の年代を画像だけで断定することはできません。それでも、現在とは異なる低密度の土地利用から、戦後の工業化と住宅建設へ向かう前段階を読み取れます。
大田区の公式工業史によると、1955年には大田区の工場数は東京23区で4位、工場従業員数は1位になりました。
1962年、港湾整備に伴って漁業組合が漁業権を放棄し、海苔養殖は終わります。広い海苔干し場等へ工場が集まり、大田区南東部は工業地としての性格を強めました。
東糀谷6丁目の工業は、突然現れたのではありません。
海の仕事が土地の仕事へ変わり、軍需生産が生活用品へ変わり、さらに高精度な加工技術へ発展する長い流れの中にあります。
高度成長期、働く町に都営住宅ができた
日本経済が急速に成長した1950年代から1960年代、東京には地方から多くの人が移り住みました。
工場や建設現場、交通、商業で働く人が増える一方、住宅は不足していました。東京都は、住宅に困っている世帯へ低廉な家賃で住まいを供給するため、都営住宅を大量に建設しました。
東糀谷6丁目でも、工業地や空港関連施設に近い場所に、大規模な都営住宅が形成されます。

1961~1969年の空中写真には、高度経済成長期の土地利用が写っています。
個々の工場名や建物の完成年は写真だけでは分かりません。しかし、工業地域としての利用が進み、その後の大規模住宅建設へ向かう町の変化を現在の航空写真と比べられます。
工場の近くに住宅を造ることには合理性がありました。通勤時間を短くでき、住宅不足へ対応でき、公共交通や道路も利用できます。
一方、工場の騒音、振動、交通、航空機騒音、災害時の安全等、住工混在地域特有の課題も抱えます。
東糀谷6丁目は、働く場所と住む場所を近づける戦後都市計画の利点と難しさを、同時に受け止めた町でした。
833戸の団地に同じ世代が入居した
都営東糀谷六丁目アパートは、建替え前に833戸規模だったとされる大規模な都営住宅です。
住棟は1970年代初頭を中心に形成されました。

1974~1978年の空中写真を見ると、住宅群と周囲の工場・業務用地が近接する配置が分かります。
この団地へは、住宅を必要とする多くの世帯が同じ時期に入居しました。
入居当初、親世代が30代や40代で、子どもと暮らす世帯も多かったと考えられます。子どもが学校へ通い、親が働き、自治会、防災、清掃、地域行事が生活を支えます。
数十年がたつと、子どもは進学、就職、結婚等を機に団地を離れます。親世代は住み慣れた住宅に残ります。一世帯当たりの人数が減り、かつて家族で暮らした住戸に一人または二人で住む世帯が増えます。
建物の戸数が変わらなくても、総人口は減り、65歳以上の割合は上がります。
これは、東糀谷6丁目だけの特殊な失敗ではありません。
東京都は、都営住宅全体の高齢化要因として、高度経済成長期に大量入居した世代が一斉に高齢化したことを挙げています。
公営住宅と公団住宅の違い、2DK、団地センター、住棟配置、建替えの基礎は、「団地まるわかりガイド」で詳しく解説しています。
64.0%はどのように生まれたのか
2020年国勢調査では、東糀谷6丁目の65歳以上割合は64.0%でした。
この数字を見ると、町の住民のほぼ3人に2人が65歳以上だったことになります。
しかし、正しく理解するには、分母に誰が入っているかを見る必要があります。
国勢調査の町丁目別人口は、東糀谷6丁目に住む人を数えます。工場、物流施設、空港関連施設へ毎日通勤する人が別の町に住んでいれば、この町の住民人口には入りません。
つまり、昼間に若い従業者が多数働いていても、夜間人口の高齢化率は高いままになり得ます。
一方、居住人口は大規模な都営住宅へ集中します。そこでは同時期に入居した世代が長く住み続け、子ども世代が外へ出ました。
- 働く人は町外から通勤する
- 住む人は都営住宅へ集中する
- 大量入居した世代が一斉に高齢化する
- 世帯人数が減る
- 長期居住によって住民の入替えが緩やかになる
これが、仕事のある町で64.0%という数字が生まれる基本構造です。
なお、2025年1月1日の大田区住民基本台帳では、東糀谷6丁目の総人口は1,028人、65歳以上は年齢階級を合計すると663人です。計算上の割合は約64.5%になります。
ただし、これは2020年国勢調査とは異なる統計です。基準日、対象、把握方法が違うため、「64.0%から64.5%へ上昇した」と単純に比較することはできません。2025年値は、別の統計から見た一時点の姿として扱う必要があります。
さらに、最新の2026年1月1日住民基本台帳では、東糀谷6丁目の総人口は954人、65歳以上は年齢階級を合計すると618人で、計算上は約64.8%です。これも住民基本台帳の別時点の値であり、2020年国勢調査の64.0%を置き換える数字ではありません。
東京23区の高齢化率50%超地域を同じ2020年国勢調査で比較する場合は、「東京にも限界集落がある?23区の高齢化率50%超地域と都市型限界集落の実態」も参照してください。
長く住めたことは失敗ではない
高齢化率が高いと、都営住宅そのものが失敗だったように語られることがあります。
しかし、都営住宅は、民間住宅を借りにくい世帯、収入が限られる世帯、住宅に困っている世帯へ、安定した住まいを供給してきました。
若い時に入居した人が、高齢になるまで同じ地域で生活できたことは、住宅政策が生活の継続を支えた結果でもあります。
問題は、高齢者が住み続けることではありません。
住民の年齢が上がった時に、階段や段差を安全に使えるか、買物へ行けるか、病院や介護サービスへつながれるか、災害時に避難できるか、自治会活動を維持できるか、孤立を防げるか、新しい世帯も入居しやすいかという生活条件が追いついているかです。
高齢化率だけを下げようとすれば、長く住んだ高齢者を地域から出すという誤った発想につながりかねません。
必要なのは、住み続ける人の安全を確保しながら、新しい世帯も暮らせる住宅と地域を作ることです。
空港の隣で働く場所は増えている
東糀谷6丁目は、羽田空港に近い場所です。
周辺には航空関連、物流、整備、製造等の仕事があります。
2010年に撮影された写真には、東糀谷6丁目にあった全日空訓練センターが写っています。

この写真は、2026年現在の施設状況を示すものではありません。現在も同じ名称や用途で使われていると説明してはいけません。
しかし、東糀谷6丁目が住宅だけの町ではなく、空港に近い就業地でもあったことを示す歴史資料です。
ここに、東糀谷6丁目を理解する上で重要な逆説があります。
近くに仕事があっても、その仕事に就く人が団地へ住むとは限りません。空港関連企業の従業者は、大田区外、別の沿線、民間住宅から通勤できます。勤務先の立地と居住地の選択は別です。
工場や事業所が更新され、新しい従業者が入っても、都営住宅の住民構成は別の制度と速度で変わります。
また、空港に近い利便性の一方で、航空機騒音への対応も必要です。東糀谷6丁目は住宅防音工事等の対象地域として扱われ、建替え住棟でも防音性能が重要になります。
羽田空港の航空機整備を現地で学ぶには、「ANA Blue Hangar Tour機体工場見学レポート」を、日本の航空機開発の流れは「日本の航空技術史」を参照してください。
町工場は消えたのではなく、形を変えた
大田区の工場数は、1983年に9,190件でピークを迎えました。その後、大企業の地方・海外移転、後継者不足、地価、住工混在、公害対策、取引構造の変化等によって企業数は減りました。
それでも、大田区からものづくりが消えたわけではありません。
企業は一社へ依存する系列型から、特定の加工技術を磨き、複数企業から仕事を受ける方向へ変わりました。NC工作機械等を導入し、多種少量、短納期、高精度の生産へ対応します。
その現在形の一つが、東糀谷6丁目4番17号にある「OTAテクノCORE」です。
大田区の施設概要によると、2012年6月に開設されたこの施設は、鉄筋コンクリート造4階建て、計33ユニットの集合型工場です。
精密加工関連企業、機械金属系の研究開発企業等を中心に、工場の操業環境を確保し、大田区のものづくり集積を維持することを目的としています。
住宅と工場が近接する地域では、騒音、振動、搬出入、土地利用の競合が起こります。
個々の小工場が単独で適切な操業場所を確保しにくくなった時、必要な設備や床荷重を備えた建物へ集約する。工場アパートは、その解決策の一つです。
東糀谷6丁目では、都営住宅が建て替えられる一方、工場も集合型施設へ更新されています。
住宅と工業はどちらも古い建物を更新していますが、その目的と利用者は異なります。
建替えで何が変わるのか
都営東糀谷六丁目アパートでは、老朽化した住棟を取り壊し、新しい高層住棟へ建て替える事業が進められてきました。
東京都議会の工事契約資料では、建替えに関連して、
- 228戸、地上11階
- 158戸、地上14階
- 156戸、地上13階
の住棟がそれぞれ示されています。
これは複数工区の契約資料で確認できる戸数です。合計542戸を、団地全体の最終戸数と断定してはいけません。
大規模団地の建替えは、一度に全住棟を解体することができません。
まず一部の土地へ新住棟を建てます。次に既存住民が移転します。空いた旧住棟を解体し、その土地へ次の住棟を建てます。この手順を繰り返します。
そのため、新築住棟へ最初に入る人の多くは、同じ団地の旧住棟で暮らしてきた住民です。
建物は新しくなっても、人口構成が一夜で入れ替わるわけではありません。
建替えの直接的な効果は、耐震性、エレベーター、段差の軽減、浴室やトイレ、断熱、防音、避難安全、設備、介護しやすい住戸、家族構成へ対応できる間取りの改善です。
東京都議会資料では、隣接する1DKと2DKの間の壁を将来撤去し、必要に応じて一つの住戸として使える設計も示されています。
世帯人数が変化しても建物全体を壊さず対応できるようにする考え方です。
高齢化率を直ちに下げることより、人口構成が変わっても使い続けられる住宅を造ることが、長期的には重要です。
建替えだけでは町は若返らない
新しい住宅が完成すると、若い世帯が大量に入り、高齢化が解消すると期待されがちです。
しかし、東糀谷6丁目では、建替えの最初の目的は既存住民の安全な移転です。
住み慣れた地域へ戻れることは重要です。高齢者にとって、病院、買物、近所の人、自治会、バス路線が変わらないことは生活の安定につながります。
一方、既存住民の移転だけで全住戸が埋まれば、世代構成は大きく変わりません。
若年夫婦、子育て世帯、ひとり親世帯等を対象とする募集制度や、建替えで生まれた土地の活用が必要になります。
さらに、住宅が新しくても、日常の買物が不便、大型車が多い、空港騒音がある、駅から距離がある、地域交流が少ない、子育て施設への動線が弱いなら、多様な世代が長く暮らす町にはなりにくいでしょう。
団地再生は、住棟の建替えだけでは完成しません。
住宅、交通、商店、医療福祉、工業、防災、地域活動をつなぎ直す必要があります。
1953年から続く自治会が支えるもの
東糀谷六丁目都営住宅自治会の公式プロフィールには、設立年が1953年と記載されています。
東糀谷六丁目都営住宅自治会は、環境美化、防災、防犯、交通安全、レクリエーション、高齢者の見守り等を活動目的に掲げています。
この設立年が現在の高層住棟の建設時期より早いことは、地域組織が住宅の建替えや形の変化を越えて継承されてきた可能性を示します。
ただし、公式プロフィールの「会員数800」を、現在の正確な人口や世帯数と同一視してはいけません。
自治会の役割は、高齢化した団地ほど大きくなります。
- 災害時に支援が必要な人を把握する
- 安否確認をする
- 防犯情報を共有する
- 清掃やごみ置場を管理する
- 行政や住宅管理者へ要望を伝える
- 孤立しやすい住民へ声をかける
一方で、役員や活動参加者自身も高齢になります。必要な活動が増えるのに、担い手が減るという矛盾が生じます。
高齢化率が高いから共同体が消えたのではありません。むしろ、共同体の仕事は増えています。
今後は、若い入居者、周辺事業所、福祉施設、行政、町会等が、都営住宅自治会だけへ負担を集中させず、地域全体で支える仕組みが必要です。
東糀谷6丁目を歩くと何が見えるか
東糀谷6丁目を歩くときは、古い団地の外観だけを見るのではなく、町の機能がどのように分かれているかを観察してください。
1.都営住宅の住棟と建替え区域
古い住棟、新しい住棟、解体後の土地、工事区域が時期によって混在します。工事の進捗は変わるため、公開時点の公式情報を確認してください。
2.1~7番と8~9番の違い
地図上の番地と、工場・業務施設・住宅の配置を見比べます。自治会・町会区域の違いが土地利用の違いとどのように重なるかを考えます。ただし、現地の用途を番地だけで断定しないでください。
3.OTAテクノCORE
東糀谷6丁目4番17号にある集合型工場です。施設内部や入居企業の作業場へ無断で入らず、公開されている外観と公式情報から、現代の町工場がどのような建物を必要としているかを見ます。
4.羽田空港との距離
航空機、物流、道路、業務施設の関係を確認します。利便性だけでなく、騒音、防音、大型車両、災害時の交通等も地域の生活条件です。
5.自治会集会室と生活動線
集会室、バス停、商店、医療福祉施設、避難場所等が、高齢者の歩行範囲にどう配置されているかを見ます。
現地は観光施設ではなく、多くの人が暮らし、働く場所です。
住民の顔、表札、窓、洗濯物、住戸内部を無断撮影しないでください。工場敷地、物流施設、工事区域へ無断で入らず、大型車両と自転車にも注意してください。
まとめ――工業と住宅が別の時間を刻む町
東糀谷6丁目の高齢化率64.0%は、仕事がなくなり、町全体が衰退した結果ではありません。
この町では、工業と住宅が別の時間を刻んできました。
海苔養殖の海辺には、関東大震災後に工場が集まりました。戦時中の軍需生産を経て、敗戦後は生活用品を作り、高度経済成長期には東京を代表する工業集積へ発展しました。
住宅不足に対応するため、1970年代初頭には833戸規模の都営住宅が形成されました。
同じ時期に多くの世帯が入居し、子どもが独立した後も親世代は長く住み続けます。居住人口が都営住宅へ集中する一方、工場や空港関連施設で働く人の多くは町外から通勤します。
働く人が若くても、住民統計には入りません。
これが、仕事のある町で高齢化率64.0%が生まれた基本構造です。
現在、住宅は段階的に建て替えられています。町工場もOTAテクノCOREのような集合型施設へ形を変えています。
建物は新しくなります。しかし、建替えだけで人口構成が自動的に若返るわけではありません。既存住民が安全に住み続けられることと、新しい世代が暮らせることを両立させる必要があります。
1953年設立とされる自治会は、見守り、防災、防犯、環境美化を続けています。
東糀谷6丁目を理解するために必要なのは、「限界集落」という一言ではありません。
工場、空港、都営住宅、自治会、建替えという異なる仕組みが、同じ町丁目でどのように重なったかを見ることです。
そこには、東京の戦後住宅政策と産業政策が、数十年後の住民構成へどのような影響を残すのかという、都市全体の課題が表れています。
参考文献・根拠資料
- 東京都議会「令和四年 都市整備委員会速記録第十六号」
- 総務省統計局「令和2年国勢調査」
- 大田区「東糀谷―令和7年1月1日現在 年齢別人口」
- 大田区「東糀谷―令和8年1月1日現在 年齢別人口」
- 大田区「自治会・町会の区域(糀谷地区)」
- 大田区区民活動情報サイト「東糀谷六丁目都営住宅自治会 団体プロフィール」
- 大田区「大田区工業の歴史」
- 大田区「東糀谷六丁目工場アパート(OTAテクノCORE)」
- 大田区「地域情報誌『糀谷』第66号」
- 東京都議会「令和二年 都市整備委員会速記録第一号」
- 東京都議会「令和三年 都市整備委員会速記録第十四号」
- 東京都議会「令和四年 都市整備委員会速記録第一号」
- 東京都議会「令和二年 都市整備委員会速記録第二号」
- 東京都議会「令和三年 都市整備委員会速記録第十五号」
- 国土地理院「地理院タイル一覧」
- Wikimedia Commons「ANA Training Center 01」
- ゆる歴史散歩会「東京にも限界集落がある?23区の高齢化率50%超地域と都市型限界集落の実態」
事実確認:2026年7月20日

