ノーベル経済学賞は何の役に立った?私たちの社会を変えた経済学10選

オークション理論で2020年ノーベル経済学賞を受賞したポール・ミルグロム

スマートフォンが使う電波の割り当て、研修医と病院の配属、腎臓交換、年金の自動加入、貧困対策、最低賃金の効果測定、炭素価格、金融市場のオプション価格、独占企業の規制、銀行取り付け対策。これらには、後にノーベル経済学賞で評価された研究が深く関わっています。

経済学の実用性は、景気や株価の予測に加え、制度そのものを設計する研究、政策の効果を測る研究、市場や金融制度を支える分析基盤にも現れます。役立ち方は大きく三つに分かれます。

  • 制度設計:周波数オークション、医師マッチング、腎臓交換、年金設計
  • 政策評価:RCT、自然実験、気候政策、規制政策
  • 分析インフラ:オプション価格理論、銀行・金融危機研究
Nobel年研究社会での具体例
2020オークション理論携帯電話などの周波数割当
2012マッチング理論研修医と病院の配属
2012マッチング理論腎臓交換
2017行動経済学年金・貯蓄制度
2019開発経済学・RCT補習教育・予防医療
2021因果推論最低賃金などの政策評価
2018気候経済学炭素価格・気候政策
1997オプション価格理論金融市場の価格評価
2014産業組織論独占・規制政策
2022銀行・金融危機研究銀行取り付け・金融安定

多くの事例では、研究が先にあり、制度設計や実証を通じて社会で使われ、その成果を含む長年の研究が後にNobelで評価されました。社会実装がNobel受賞より先行した例が多くあります。賞そのものの位置づけは世界の権威ある経済学賞で比較しています。

① スマホの電波をオークションで配る|2020年

携帯電話会社が使う周波数は有限です。複数の企業が同じ帯域を欲しがる一方、地域ごとの免許には組み合わせの価値があります。単純な一発入札では、企業が必要な組み合わせを取りにくく、価格形成も不安定になりやすい問題があります。

1990年代、米Federal Communications Commission(FCC)は周波数免許の割り当てへオークションを導入しました。1994年に実施された初期のspectrum auctionでは、複数の地域・免許を同時に扱い、複数ラウンドで価格を更新するsimultaneous multiple-round auctionが採用されました。

Paul MilgromとRobert Wilsonは、オークション理論を現実の制度設計へ接続した中心的研究者です。FCCの設計にはPaul Milgrom、Robert Wilsonのほか、Paul Milgromと共同提案を行ったRobert Wilson、Preston McAfee、John McMillan、Jeremy Bulow、Barry Nalebuffなど複数の経済学者が関わりました。2020年NobelはMilgromとWilsonを「オークション理論の改善と新しいオークション形式の発明」で評価しました。

現在の携帯通信、放送、無線サービスでは、限られた電波を誰にどの条件で配分するかが巨大な政策課題です。経済学はここで、価格を予測するより「ルールをどう設計すれば資源配分がうまくいくか」に使われています。

② 研修医と病院をマッチングする|2012年

2012年ノーベル経済学賞受賞者アルヴィン・ロス
アルヴィン・ロス、2012年。Bengt Nyman / Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

研修医は病院に希望順位を持ち、病院側も応募者に順位を付けます。双方の希望を個別交渉だけで処理すると、早すぎる内定や駆け引きが起き、全体として不安定な配属になりやすくなります。

Gale–Shapleyの安定マッチング理論は、双方の希望を使って「あとから互いに乗り換えたい組」が残りにくい配属を考える基礎になりました。Alvin Rothは医師市場を実証的に研究し、Elliott PeransonとNRMP向けアルゴリズムの再設計に関わりました。2012年NobelはRothとLloyd Shapleyを「安定配分の理論と市場設計の実践」で評価しました。

日本でも、日本医師臨床研修マッチングプログラム(JRMP)が研修希望者と研修病院の希望を使い、基本的にGale–Shapleyの安定マッチングのアルゴリズムに基づいて組み合わせを決めています。Rothが日本の制度を設計したという関係ではなく、同じ理論的系譜が日本の実務にも使われている例です。

日本では東京大学マーケットデザインセンターが、保育園入園、高校入試、企業内配属、特別養子縁組などへマーケットデザインを応用する研究を進めています。正式制度として導入済みのものと、実証・提言段階のものを区別しながら、制度設計研究は現在も広がっています。

③ 腎臓交換で「合う相手」を探す|2012年

患者AにはドナーAの腎臓が合わず、患者BにもドナーBの腎臓が合わない。ところがドナーAから患者B、ドナーBから患者Aなら適合する場合があります。人数が増えるほど組み合わせは複雑になり、単純な一対一の交渉では良い組み合わせを見つけにくくなります。

Alvin Roth、Tayfun Sönmez、M. Utku Ünverらは、腎臓交換を「価格を使えない資源配分」の問題として分析し、交換アルゴリズムを実用制度へ発展させました。Rothは2000年に米国初のkidney exchangeが行われた後、この分野の市場設計へ深く関わり、2004年にはSönmez、Ünverと「Kidney Exchange」を発表しています。

腎臓交換そのものには医学的な前史があります。Rothらの貢献は、交換を大規模かつ安定的に組むための制度設計とアルゴリズムを発展させた点にあります。経済学が価格のある市場だけを扱う学問ではないことがよく表れた事例です。

④ 年金を「申し込む」から「自動加入」へ|2017年

行動経済学者リチャード・セイラー
リチャード・セイラー、2015年。Chatham House / Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

年金制度では「加入した方が得だと分かっているのに、手続きを後回しにする」問題が起きます。行動経済学は、限定合理性、自己制御、初期設定の効果などを使い、制度の選択肢だけでなく「選び方の環境」が行動へ与える影響を分析します。

MadrianとSheaの2001年研究では、401(k)の自動加入導入後、対象社員の参加率が49%から86%へ上昇しました。この数値はRichard Thaler本人の実験ではなく、default効果を示す代表的研究です。

ThalerはShlomo BenartziとSave More Tomorrowを共同設計し、将来の昇給時に貯蓄率を引き上げる仕組みを提案しました。2017年NobelはThalerを行動経済学への貢献で評価しています。

英国では自動加入が大規模な制度として定着し、2025年にはAutomatic Enrolment対象のeligible employeesのおよそ90%が職域年金へ貯蓄していました。対象は2,260万人、年間の職域年金貯蓄額は1,661億ポンドです。英国制度をThalerが設計したという関係ではなく、行動科学のdefault効果と整合する大規模な制度実例として位置づけられます。

⑤ 貧困政策を実験してから広げる|2019年

「貧困をなくすには何が効くか」という問いは大きすぎます。教材を配る、補習授業を行う、予防接種を無料化する、少額のインセンティブを付けるなど、具体的な施策へ分けて比較すると、政策の効果を測りやすくなります。

Abhijit Banerjee、Esther Duflo、Michael Kremerは、ランダム化比較試験(RCT)を使う実験的アプローチを開発経済学の中心的手法へ押し上げました。2019年Nobelは「世界の貧困削減への実験的アプローチ」を評価しました。こうした実証研究では、後から第三者が検証できるようにする再現性の仕組みも重要になっています。

Nobel公式は、彼らの研究を直接の基礎とする補習教育プログラムによって500万人以上のインドの子どもが恩恵を受け、予防医療への大きな補助政策が複数国で導入されたと説明しています。実験結果が政策拡大の判断材料になった、社会実装の分かりやすい例です。

開発経済学には観察研究、理論、制度分析など多様な方法があります。2019年Nobelの特徴は、RCTを通じて「大きな問題を検証可能な小さな問いへ分ける」実証文化を強く広めた点です。

⑥ 最低賃金が本当に雇用を減らすか測る|2021年

政策効果を測る最大の難しさは、「政策を実施した世界」と「同じ条件で実施しなかった世界」を同時に観察できないことです。自然実験は、制度変更や地域差など、現実に生じた比較可能な状況を使って因果関係を調べます。

David CardとAlan Kruegerは、最低賃金を引き上げたNew Jerseyと隣接するPennsylvaniaのファストフード雇用を比較しました。この研究は「最低賃金引き上げは必ず大幅な雇用減を生む」という単純な見方へ実証的な疑問を投げかけ、その後の研究を大きく変えました。

2021年NobelはCardを「労働経済学への実証的貢献」、Joshua AngristとGuido Imbensを「因果関係分析への方法論的貢献」で評価しました。ここで経済学が変えたのは政策そのものより、政策が本当に効いたかを測る方法です。

⑦ CO2排出の社会的コストを計算する|2018年

気候政策では、CO2を1トン追加で排出したときの将来被害をどう金額評価するかが重要です。William Nordhausは経済と気候を統合したDICE(Dynamic Integrated Climate-Economy)モデルを発展させました。

  • 経済活動がCO2排出を生む
  • 排出が気温へ影響する
  • 気温上昇が経済被害を生む
  • 削減政策には費用がかかる
  • 被害と削減費用を同じ枠組みで比較する

2018年NobelはNordhausを「気候変動を長期マクロ経済分析へ統合した」功績で評価しました。2010年の米政府Interagency Working GroupによるSocial Cost of Carbon推計では、DICE、FUND、PAGEの三つの統合評価モデルが使われました。DICEはその一つです。

2010年の算定方法は歴史的利用例です。米政府の算定方法はその後更新されました。炭素価格の推計は割引率、被害関数、将来成長などの仮定で変わります。経済学の役割は、一つの「正解価格」を決めることより、政策判断で比較する費用と便益を同じ枠組みに載せることにあります。

⑧ 金融市場で毎日使われるオプション価格理論|1997年

オプションは、将来あらかじめ決めた価格で資産を売買する権利です。将来の株価が不確実なまま、この権利を今日いくらで評価するか。1973年にFischer BlackとMyron Scholesが公式を示し、Robert Mertonが一般化しました。

Blackは1995年に亡くなっており、1997年Nobelの受賞者はMertonとScholesでした。Nobel公式は当時、何千人ものトレーダーと投資家がこの公式を毎日使っていると説明しています。

株式オプション、為替、金利、保険契約、保証、投資プロジェクトの柔軟性評価などへ考え方が広がりました。現実の市場では価格変動や流動性など理論の仮定から外れる部分もあるため、実務では多くの拡張や補正が使われます。それでも、学術モデルが金融市場の日常業務へ組み込まれた代表例です。

⑨ 独占企業をどう規制するか|2014年

通信、銀行、インフラなどでは、少数の企業が大きな市場支配力を持つ場合があります。単純な価格上限や一律の禁止ルールだけでは、企業ごとのコスト、情報、投資インセンティブを無視することがあります。

Jean Tiroleは、ゲーム理論や契約理論を使い、市場支配力を持つ企業がどう行動するか、規制当局がどんな情報を持たないか、規制ルールが企業の行動をどう変えるかを体系化しました。2014年Nobelは「市場支配力と規制の分析」を評価しています。

Nobel公式は、通信や銀行のような産業を例に、産業ごとの条件に合わせた競争政策・規制分析の重要性を説明しています。現代の個別規制をTirole理論の直接実装とみなすより、競争当局や規制当局が使う分析枠組みを高度化した研究として見る方が実態に近いです。

⑩ 銀行取り付けをどう防ぐか|2022年

銀行は預金者に「必要なとき引き出せるお金」を約束する一方、企業融資や住宅ローンなど長期資産へ資金を回します。噂や不安で預金者が一斉に引き出すと、銀行は長期資産を急いで売却し、損失が拡大します。

Douglas DiamondとPhilip Dybvigは1983年、銀行取り付けがなぜ起こり得るかを理論化し、預金保険や最後の貸し手が取り付けを防ぐ仕組みを示しました。米国のFDICによる預金保険は1933年に始まっており、Diamond–Dybvigは制度を発明した研究ではなく、既存制度の安定化効果を理解する理論的基礎を強めた研究です。

Ben Bernankeは大恐慌研究から、銀行破綻と信用仲介の崩壊が実体経済へ与える影響を分析しました。Bernanke、Diamond、Dybvigは2022年に「銀行と金融危機の研究」でNobelを受賞しました。銀行危機研究が経済学をどう変えたかは経済危機とマクロ経済学の変化でも詳しく扱っています。

研究は現在進行形です。FDICは2026年、Silicon Valley Bank、Signature Bank、First Republic Bankの2023年破綻についてtransaction-level dataを使った分析を公表しました。預金流出の規模と速度は前例のない水準で、多額のuninsured fundsを持つ預金者ほどrunしやすく、fully insured retail depositorsは破綻前には一般にrunしなかったと報告しています。

2023年の破綻には預金者行動、流動性、保険に加えて複数の要因が関わります。1983年の理論が示した基本枠組みは、オンライン送金時代の銀行取り付けを考える際にも生きています。

経済学はどこまで社会を設計できるのか

10例を並べると、経済学が強みを発揮した場所はかなり具体的です。限られた資源を誰へ配るか、価格を使えない市場をどう設計するか、人間の行動特性を制度へどう反映するか、政策効果をどう測るか、将来の外部コストをどう評価するか、不確実な金融契約をどう価格付けするか、市場支配力や金融危機をどう分析するかという領域です。

経済学の実用性は、未来の景気や株価の予測に加え、制度設計、政策効果の測定、資源配分、金融や環境のリスク評価にも現れます。こうした研究は長い時間をかけて社会の仕組みへ組み込まれてきました。