田中義一家文書の歴史|徳丸の出羽三山講・富士講と明治大正の選挙記録

徳丸の田中家に残された「田中義一家文書」は、江戸時代から昭和時代にわたる地域の暮らしを記録した古文書群です。出羽三山講や富士講の信仰資料に加え、田畑と税金、明治末期から大正期の選挙関係文書がまとまっています。平成29年(2017)3月29日に板橋区登録有形文化財(古文書)となりました。

徳丸で暮らしてきた田中家の記録

田中義一家は江戸時代以来、徳丸で暮らしてきた家です。伝わる文書は、江戸時代のものが1点で、多くは明治から昭和にかけての記録です。家族に関わる文書、田畑や屋敷地の所持を示す資料、府税・村税の負担についての書類などが含まれています。

文書には安楽寺や紅梅小学校など、徳丸村内の寺院・学校との交流に関する資料も残ります。家の財産だけでなく、近隣の人々とどのように関わったかを記録している点が特徴です。

出羽三山徳丸講の副講元を務めた家

田中家は明治時代、出羽三山徳丸講の副講元を務めていました。出羽三山は現在の山形県にある羽黒山・月山・湯殿山で、江戸時代から多くの人々が参詣した霊山です。講は地域の信者による集まりで、代表者の参詣や祈祷などの活動を支えました。

文書群には講で用いた祝詞や呪符などが含まれます。徳丸の人々が遠方の霊山と結んでいた信仰のつながりを、祭祀の道具や書類からたどれます。副講元は講の運営を支える役割を担い、地域の人々の集まりに関わっていました。

富士講の訓導職・教導職任命状

田中家には富士講に関する資料も残り、訓導職・教導職の任命状が含まれています。富士講は富士山への登拝と地域での祈祷を営んだ人々の集まりです。講の役職に関わる任命状は、信仰組織の中で田中家が担った仕事を知る手がかりになります。

徳丸の各家に残る古文書には出羽三山講や富士講の記録が繰り返し現れます。農村の人々は村の行政や農業を担う一方、講を通じて山形や富士山方面とも交流を持っていました。

1912年から1917年の選挙関係文書

この文書群のもう一つの特徴が、明治末期から大正期の選挙資料です。第11回衆議院議員総選挙(明治45年〈1912〉5月)、第12回(大正4年〈1915〉3月)、第13回(大正6年〈1917〉4月)に関わる書類がまとまっています。大正4年9月の東京府会議員選挙の資料も残されています。

含まれるのは候補者や応援者、政党から届いた決意書、趣意書、依頼状、礼状などです。議会や選挙が農村の有力者にどのように働きかけたかを、具体的な文面から調べられます。土地や税の資料とあわせることで、徳丸が近代的な自治体や選挙制度の中に組み込まれていった過程を知ることができます。

文化財としての保存と関連する文書群

田中義一家文書は個人が所有する文化財で、所在地は非公開です。一般の見学施設として公開されている資料ではありません。閲覧や調査については板橋区の文化財担当部署へ確認してください。

徳丸には名主や組頭が残した安井家文書も伝わっています。徳丸安井家文書の歴史では江戸時代の村政や助郷の記録を、徳丸・高島平周辺の歴史と文化財では地域の寺社や学校を紹介しています。

参考資料