2012年2月、年金基金の資産を運用していたAIJ投資顧問で巨額損失が発覚しました。事件を理解する鍵は、約1,900億円、1,458億円、約1,100億円という三つの数字を分けることです。
約1,900億円は年金基金が報告していたAIJへの運用残高、1,458億円はファンドが9年間に実際に受け入れた資金、約1,100億円は先物・オプション取引などで発生した実損です。
AIJは損失後も実際の資産価値を顧客へ示さず、社長が決めた虚偽の基準価額を使って好調な運用を装いました。その数字を基に年金基金を勧誘し、新しい資金を集め続けたことが事件の核心です。
1990年代以降の金融不祥事の流れは「バブル崩壊後の金融・会計不祥事史」、金融制度全体の変化は「事件・危機・不祥事から読む日本の金融史」で詳しく扱っています。
1900億円・1458億円・約1100億円|三つの数字を分ける
厚生労働省が2012年にまとめた資料では、2010年度末にAIJへ資産運用を委託していたと報告した年金基金は84基金でした。内訳は厚生年金基金74、確定給付企業年金10で、加入者は約54万人、受給者は約34万人です。基金が報告していたAIJへの資産残高は約1,900億円でした。
一方、金融当局が海外の監査資料や取引記録などを調べた結果、AIJが運用に使っていたAIMグローバルファンドが9年間に受け入れた資金は1,458億円でした。その資金を日経225先物・オプション、国債先物・オプションなどで運用し、約1,100億円の損失を出していました。
| 数字 | 意味 |
|---|---|
| 約1,900億円 | 2010年度末に基金側が報告していたAIJへの運用残高 |
| 1,458億円 | AIMグローバルファンドが9年間に実際に受け入れた資金 |
| 約1,100億円 | 先物・オプションなどの運用で生じた実損 |
9年間にファンドから支払われた管理報酬・成功報酬は計45億円でした。「約2,000億円消失」という表現より、虚偽の基準価額を基礎にした報告残高と実際の資金・損失を分ける方が事件の構造を正確に捉えられます。
AIJ投資顧問は何をしていた会社?
AIJ投資顧問は、年金基金などから資産運用を任される投資運用会社でした。証券取引等監視委員会の2012年資料では、資本金2億3,000万円、役職員11人。代表取締役は浅川和彦氏でした。
顧客である年金基金はAIJと投資一任契約を結び、AIJの指図でケイマン諸島籍の「AIMグローバルファンド」を購入しました。販売にはアイティーエム証券(ITM証券)が関与し、ファンド管理会社AIAもAIJと深い資本・人的関係を持っていました。
投資運用会社、販売会社、ファンド管理会社が近い関係にあり、顧客が運用状況を独立した外部資料から確認しにくい構造ができていました。
約1100億円はどう失われた?
AIJが運用していた資金は、日経225先物・オプション、国債先物・オプションなどのデリバティブ取引を中心に投じられました。
先物やオプションは、少ない証拠金で大きな取引ができる一方、相場が想定と逆へ動けば損失も大きくなります。AIMグローバルファンドでは運用損失が積み上がり、9年間の実損は約1,100億円に達しました。
運用損失の発生後、AIJは実際の損失を反映した資産価値を顧客へ示さず、別の数字を基準価額として使い続けました。
偽の基準価額|社長が運用成績を作る
投資信託の基準価額、NAV(Net Asset Value)は、ファンドが保有する資産から負債などを差し引き、実際の資産価値を示す数字です。年金基金はNAVを見て、運用資産が増えたのか減ったのかを判断します。
証券取引等監視委員会は、浅川氏が実際の運用結果ではなく「自らの相場観に基づき決定した一定の数値」を虚偽のNAVとして算出していたと認定しました。
損失が大きくなってもNAVを高く設定すれば、基金の運用報告書には資産が残っているように表示されます。基金側はその数字を基に資産残高、運用成績、解約や追加投資を判断しました。
AIJ・AIM・ITMはどうつながっていた?
| 主体 | 役割 |
|---|---|
| AIJ投資顧問 | 年金基金と投資一任契約を結び、運用を指図 |
| AIMグローバルファンド | 年金資金が投じられた外国投資信託 |
| AIA | ファンド管理会社。AIJと資本・人的関係を持つ |
| ITM証券 | AIMファンドを販売し、基金への勧誘に関与 |
| 国内信託銀行 | 年金基金から信託を受け、ファンド購入などの事務を担う |
証券監視委は、ITM証券についてAIJが実質的に支配していたと認定しました。運用と販売が近接し、虚偽の運用情報が顧客まで届く経路が形成されていました。
虚偽NAVで年金資金を集め続けた
AIJは少なくとも2007年10月以降、ITM証券と一体となり、66の年金基金に虚偽のNAVや運用実績を記載した資料を示して投資一任契約を勧誘しました。
顧客へ交付する運用報告書だけでなく、関東財務局へ提出する事業報告書にも虚偽の運用資産額が記載されました。AIJは顧客資産が著しく毀損していることを認識しながら、自ら作ったNAVでAIMファンドを購入するよう基金へ指図しました。
解約請求が出た際には、浅川氏が実質支配する投資事業組合に受益証券を虚偽NAVで買わせる取引も行われ、証券監視委はファンド財産を不当に流出させたと認定しています。
監査報告書まで改ざんされた
事件では監査資料も改ざんされました。金融庁は2013年、AIJ社長の依頼を受けて虚偽資料を作成した公認会計士を登録抹消処分としました。
この公認会計士は2008年から2011年まで4期にわたり、虚偽NAVに基づくAIMファンドの運用報告書を作成し、本来「限定付」だった真正な監査報告書を無限定適正意見へ改変しました。監査済み財務諸表も虚偽報告書と整合するよう改変しています。
ファンド管理会社AIAについても銀行資料を改変し、売上を約6億円、利益を約3億2,800万円水増ししたと金融庁は認定しました。正式な監査事務所が虚偽証明へ共謀した事件ではなく、真正な監査資料を別の公認会計士が改変した構造です。
なぜ84基金がAIJへ投資した?
AIJへ投資していた84基金のうち74は厚生年金基金で、そのうち73は複数企業が共同で設立する総合型基金でした。
一部基金ではAIJへの運用委託が総資産の半分近くに達していました。厚生労働省資料には56.9%、49.3%、48.1%、43.9%という集中度の基金も記録されています。
1990年代には企業年金の資産運用規制が自由化され、1997年には「5・3・3・2規制」が撤廃されました。基金自身が資産配分と運用会社を選ぶ自由度が高まり、同時に運用会社の選定・評価やリスク管理の責任も大きくなりました。
AIJ事件後、厚生労働省は同一の運用受託機関や商品への過度な集中を管理し、運用基本方針に集中投資への考え方を定めるようガイドラインを強化しました。
東京年金経済研究所と年金基金への営業網
AIJ事件では、元社会保険庁職員が代表を務めた東京年金経済研究所と年金基金との接点も国会で取り上げられました。
浅川氏は国会で、2003年に初めてAIJの商品を購入した基金で同研究所代表が常務理事を務めていたこと、退職後に年金コンサルタント事業を始める際にAIJ側がコンサルティング料を支払ったこと、研究所のセミナーで複数の運用会社が基金へ説明していたことを証言しています。
金融庁・証券監視委は2012年4月、東京年金経済研究所に対し、無登録で金融商品取引業に当たる行為を行ったとして警告しました。
金融庁・証券監視委はなぜ2012年まで発見できなかった?
証券取引等監視委員会がAIJへ初めて検査に入ったのは2012年1月23日です。2月17日に顧客資産の運用状況へ疑義が生じ、2月24日に1か月の業務停止命令、3月23日に登録取消しと強制調査へ進みました。
当局にはそれ以前にもAIJに関する情報が寄せられていました。金融担当大臣は2012年3月、証券監視委の情報受付窓口に2005年度以降4件のAIJ関連情報があり、年金業界関係者などからも2009年以降複数回の情報提供があったと説明しています。
事件後、証券監視委は投資一任業者を集中的に検査し、「年金運用ホットライン」を設置しました。多数の金融商品取引業者の中から、年金運用のリスク情報をどう検査へ結びつけるかが見直されました。
信託銀行による第三者チェックはどう変わった?
AIJ事件後の再発防止策では、国内信託銀行がファンド管理者などから基準価額を直接取得し、投資運用会社から報告されたNAVと照合する仕組みが導入されました。
監査報告書もファンド側から直接入手して確認する仕組みが整えられました。運用会社を経由した数字だけに依存せず、独立した経路から同じ情報を取得して突き合わせる方法です。
厚生年金基金の「代行部分」とは?
厚生年金基金には企業独自の上乗せ給付に加え、国の厚生年金給付の一部を代わりに運用・給付する「代行部分」がありました。
基金の資産が国へ返すべき代行部分に相当する額を下回る状態が「代行割れ」です。金融危機、低金利、基金の高齢化などを背景に、代行割れはAIJ事件以前から深刻な制度問題になっていました。
AIJの被害を受けた基金の多くが厚生年金基金だったため、運用会社の不正と、基金制度が抱えていた財政問題が同時に社会問題化しました。
AIJ事件後、厚生年金基金制度はどう変わった?
厚生労働省は、AIJ事件を契機として厚生年金基金制度の抜本的見直しを求める声が高まったと整理しています。
2013年に法律が成立し、2014年4月から厚生年金基金の新設が停止されました。代行割れ基金が解散しやすくなる特例措置、確定給付企業年金など他制度への移行促進、存続基金への厳しい基準も導入されました。
制度改革にはAIJ事件以前から続いていた代行割れ問題が背景にあり、AIJ事件が改革を加速させる大きな契機となりました。
刑事裁判|懲役15年はなぜ重かった?
2013年12月18日、東京地方裁判所はAIJ元代表取締役に懲役15年、元取締役とITM証券元代表取締役にそれぞれ懲役7年を言い渡しました。約5億6,884万円が没収され、3人から連帯して約156億9,809万円を追徴する判決も出ています。
東京高裁は2015年3月13日に控訴を棄却し、最高裁も2016年4月12日に上告を棄却しました。3人の刑は確定しています。
地裁は、虚偽NAVと運用実績が基金の投資判断の根幹をなす情報だったこと、約3年間にわたり27回の詐欺などを反復したこと、被害基金の中に解散を検討する基金が生じたことを重く見ました。懲役15年は偽計だけの刑ではなく、詐欺罪など一連の犯罪を合わせた結果です。
カネボウ・東芝と比べると何が違う?
| 事件 | 虚偽情報の中心 | 被害を受ける主体 |
|---|---|---|
| カネボウ | 会社の財務諸表 | 株主・投資家・債権者 |
| 東芝 | 会社の売上・利益・損失認識 | 株主・投資家 |
| AIJ投資顧問 | ファンドの基準価額・運用実績 | 企業年金・加入者・受給者 |
カネボウでは監査人自身の故意による虚偽証明が問題となりました。詳しくは「カネボウ粉飾決算事件とは?」で扱っています。東芝では経営目標と複数の会計処理、監査品質が問題となりました。

