浅草の通り・商店街20選|名前の由来と歴史、老舗を訪ねる街歩き

浅草には、すしや通り、ひさご通り、オレンジ通り、六区ブロードウェイなど、歴史に由来する名前の道があります。寿司屋が並んだ横丁、埋め立てられた池の名を残す商店街、劇場から名づけられた大通り。それぞれの名前には、浅草寺の参詣、江戸の見世物、明治の興行、震災復興や戦後の商業の歴史が残っています。

浅草の通り名は、どのように生まれたのか

浅草の通り名には、浅草寺・伝法院などの寺院、六区の劇場や映画館、寿司屋・牛鍋屋といった商売、池や橋などの地形が反映されています。

明治期には浅草寺境内を含む地域が浅草公園として区画され、第六区に芝居小屋や映画館が集まりました。関東大震災後の区画整理と戦後の商店街整備によって、新しい通りや名称も生まれました。

浅草寺の門前と周辺で生まれた9つの通り

1.仲見世通り|浅草寺参詣とともに育った門前商い

雷門から宝蔵門へ続く仲見世は、江戸時代の参詣客を相手にした商いが起源です。浅草寺の役務を担う人々に参道での営業が認められ、土産物や菓子を売る店が発達しました。1885年に煉瓦造りの店舗が完成。関東大震災で被災した後、1925年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。

2018年の浅草仲見世通り。両側に土産物店が並び、参拝客が歩いている
浅草寺の参道に店が並ぶ仲見世通り。2018年撮影。Christophe95/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0、縮小のみ)。

注目店:木村家人形焼本店は1868年創業。鳩や提灯など浅草にちなむ形の人形焼を販売する、仲見世を代表する菓子店です。

2.新仲見世通り|震災復興で生まれた東西の商店街

新仲見世は浅草駅側から六区方面へ延びるアーケード街です。関東大震災後の区画整理で現在につながる街路が生まれ、1930年の浅草松屋開店後は駅と興行街を結ぶ商業の中心となりました。戦後にアーケードが整備され、2011年にも大規模改修が行われました。

注目店:すき焼き今半本店は新仲見世に面する牛肉料理店。浅草今半・今半別館とは別の店です。コマチヘアは日本髪用のかつらやかんざしを扱い、浅草の舞踊・和装文化に関わる専門店です。

3.伝法院通り|浅草寺本坊の名を残す道

伝法院は浅草寺の本坊です。その脇に延びる伝法院通りでは、大正期から商店街の組織化が進みました。2005年に江戸風の外観へと整備され、飲食店や工芸品店が並んでいます。

2018年の浅草伝法院通り。江戸風の建物を模した店が立ち並ぶ街路
伝法院通りの街並み。江戸風の外観は近年の修景によるものです。2018年撮影。Christophe95/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0、縮小のみ)。

注目店:大黒家天麩羅は1887年創業で、濃い色のつゆをまとった天丼が名物。よのや櫛舗は1717年創業のつげ櫛専門店で、とかし櫛やかんざしを扱います。浅草おじまでは江戸切子の器を取り扱っています。

4.観音通り|地下鉄と観音参詣が出会った道

観音通りは浅草駅から浅草寺方面へ向かう通りで、かつて「メトロ横丁」「コーヒー横丁」「理髪店横丁」とも呼ばれました。1949年に商店会が結成され、地下鉄と参詣客の往来を背景に発展しました。

注目店:1940年創業の和泉屋は、国産米を使った手焼き煎餅・あられの店。猫の形をした「猫せんべい」も販売しています。おつけもの丸仁浅草店では各種の漬物を扱っています。

5.雷門通り|門前町の表玄関となった大通り

雷門前を東西に延びる大通りです。浅草寺の門前に食事処や土産物店が集まり、三社祭などの行事でもにぎわいます。

注目店:神谷バーは1880年創業。名物「デンキブラン」は1882年に生まれ、1921年竣工の本館は登録有形文化財です。雷門三定は1837年創業の天ぷら店。常盤堂雷おこし本舗は、米や砂糖を使った浅草名物「雷おこし」を販売しています。

6.浅草中央通り|「ちんや横丁」という旧称

中央通りは以前「ちんや横丁」と呼ばれていました。店の名前が通りの通称になるほど、沿道の商売が道案内の目印となっていました。現在は新仲見世と交差する商店街です。

注目店:小柳は鰻の蒲焼・鰻重を提供する老舗。1907年創業の染の安坊は本染めの手ぬぐいや半纏を扱い、浅草の祭礼文化を伝えています。

7.オレンジ通り|区役所通りからの改称

以前の名前は「区役所通り」。1974年に区役所第二庁舎が取り壊され、1977年に浅草公会堂が完成すると、商店街は100を超える候補から「オレンジ通り」を選びました。

注目店:中清は1870年創業の天ぷら店。芝海老と青柳の貝柱を使った大きなかき揚げ「雷神揚げ」が名物です。箱長は1874年創業の桐木目込細工店で、桐箱に布をはめ込んだ装飾品を製作。舟和は1902年創業で、芋ようかんを浅草名物に育てました。

8.雷門柳小路|柳を掲げる小さな横丁

雷門から仲見世へ入り、一つ目の角を西に曲がる小路です。柳や緑色の街路灯を通りの象徴とし、小さな専門店や飲食店が続きます。

注目店:文扇堂は歌舞伎や日本舞踊に使う舞扇・扇子を扱う店。紀文寿司は江戸前寿司の店です。染の安坊別館では、神輿半纏・法被・手ぬぐいなどの誂え注文を受けています。

9.たぬき通り|商店街が育てた狸の物語

「ご利益通り」の別名を持ち、街路灯には願いを託す狸の像が設けられています。商店街が縁起物を街路の象徴にした例です。

注目店:舟和本店は芋ようかんとあんこ玉で知られる菓子店。たぬき通りには袋物を扱う大谷袋物店もあり、飲食店と専門小売店が並んでいます。

見世物・映画・演芸の街を伝える8つの通り

10.すしや通り|明治時代に18軒の寿司屋が並んだ

明治時代、約100メートルの道に18軒の寿司屋が並んだことが名前の由来です。「すしや横丁」とも呼ばれ、六区の興行街へ向かう客でにぎわいました。1986年にはアーケードとカラー舗装が整備されました。

注目店:寿司初總本店は1910年創業の江戸前寿司店。2022年12月に店舗を改装して再開し、現在もすしや通りで暖簾を掲げています。

11.六区ブロードウェイと六区通り|浅草公園の第六区画

「六区」は明治期に整備された浅草公園の第六区画から生まれた地名です。奥山の見世物小屋が移転し、1887年には常磐座、1903年には映画常設館の電気館が開業。芝居、映画、レビューの興行街となりました。

六区通りは六区ブロードウェイとは別の短い通りで、浅草ゆかりの芸能人を顕彰する装飾があります。

1934年の浅草六区。劇場の看板が立ち並ぶ街路を大勢の人が歩いている
1934年(昭和9年)の浅草六区。『歴史写真』昭和9年2月号掲載、撮影者不詳。Wikimedia Commons掲載資料(パブリックドメイン)。

注目店・施設:浅草演芸ホールでは落語や漫才、隣接する東洋館では漫才・漫談などが上演されています。洋食ヨシカミは1951年創業で、オムライスやビーフシチューが看板料理。六区通りの捕鯨舩は芸人ゆかりの大衆酒場です。

12.奥山おまいりまち|江戸の見世物の記憶

江戸時代、浅草寺の西北に位置する「奥山」には、水茶屋、見世物小屋、大道芸が集まりました。明治期に興行の中心が六区へ移った後も、浅草寺と六区を結ぶ街路としてにぎわいました。

注目施設:木馬館は旅役者による大衆演劇を上演する劇場。隣の木馬亭では浪曲などの公演が行われています。江戸の見世物から続く浅草の大衆芸能を受け継ぐ二つの施設です。

13.浅草西参道商店街|観音堂と興行街を結ぶ道

浅草寺本堂の西側から六区方面に向かうアーケードです。周辺にはかつてひょうたん池があり、現在は祭礼用品を特色とする「お祭り商店街」として営業しています。

注目店:写楽小道具店は舞踊・演劇のための舞扇、連獅子の振り毛、舞台用化粧品、かつらなどを販売。作務衣専門店の藤衣も、祭礼・和装文化と関わる店です。

14.花やしき通り|1853年に始まった行楽施設の名

通りの名は、1853年に花園として始まった「花屋敷」に由来します。大正末から昭和初期には、花やしき、六区、ひょうたん池の行楽客が行き交いました。

注目施設:浅草花やしきは江戸末期の花園を起源とする遊園地。1953年に登場したローラーコースターは、現存する国内最古のものとして知られています。

15.ひさご通り|失われたひょうたん池の名残

「ひさご」は瓢箪のこと。六区の北側から言問通りへ延びる商店街は、かつての浅草公園ひょうたん池にちなむと伝えられます。以前は近くの牛鍋店から「米久通り」とも呼ばれ、1925年に「ひさご通り」の名がついたとされています。池は戦後に埋め立てられました。

注目店・施設:1886年創業の米久本店は、牛肉を割り下で煮る牛鍋の老舗。江戸たいとう伝統工芸館では、台東区の職人が手掛けた工芸品や製作技術を紹介しています。

16.ホッピー通り|公園本通りに残る大衆酒場

六区と浅草寺西側を結ぶ公園本通りは、戦後の大衆酒場文化から「ホッピー通り」「煮込み通り」の通称が定着しました。通りに面した飲食店の店先には、屋外の客席が並びます。

注目店:正ちゃんは牛煮込みで知られる大衆酒場。味のしみた牛肉と豆腐の煮込みが名物で、浅草の酒場文化を今に伝えています。

17.国際通り|「国際劇場」が名前の由来

国際通りは1937年開場の浅草国際劇場に由来します。松竹歌劇団などの公演でにぎわった劇場は1982年に閉館し、跡地には浅草ビューホテルが建っています。

注目店:1895年創業の浅草今半国際通り本店は、すき焼きと牛肉の佃煮で知られています。宮本卯之助商店は太鼓や神輿など祭礼・芸能に関わる道具を製作・販売する老舗です。

浅草の北西と、かっぱ橋方面の3つの通り

18.千束通り|浅草寺の北側から旧吉原方面へ

千束通りは、ひさご通り北側から言問通りを越え、旧吉原方面へ延びる約1.2キロメートルの商店街です。浅草寺の門前と北側の生活圏を結び、吉原へ向かう人々も行き交いました。

注目店:デンキヤホールは、電器店から喫茶店へ転じた老舗。焼きそばを薄焼き卵で巻いた「オムマキ」と「ゆであずき」が名物です。2026年6月から再開発のため休業中。中華料理のコントは餃子で知られています。

19.かっぱ橋本通り|上野と浅草を東西に結ぶ道

かっぱ橋本通りは国際通りから道具街方面へ続く東西の道です。浅草と上野を結ぶ道として利用され、1882年にはこの方面に馬車鉄道が通りました。現在は七夕まつりの会場にもなっています。

注目店:つば屋庖丁店は用途別の包丁を扱う刃物専門店。もりもとは店の軒先を飾るのれんを扱い、浅草の商店文化を支える店です。

20.かっぱ橋道具街|川と橋が専門商店街の名になった

かっぱ橋の名には、雨合羽を干したという説と、合羽屋喜八の排水工事を河童が助けたという伝承があります。江戸時代の新堀川沿いでは大正初期に古道具商が店を出し、関東大震災後に菓子道具などの専門店が集まりました。川は暗渠となり、合羽橋と菊屋橋の名が交差点に残っています。

浅草かっぱ橋道具街南端の街角。厨房用具店が並ぶ商店街の街並み
かっぱ橋道具街南端の街角。2019年撮影。Basile Morin/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0、縮小のみ)。

注目店:馬嶋屋菓子道具店は木型や焼き型を扱い、クッキーの抜き型は1700種類以上。つば屋包丁店は和包丁から洋包丁まで専門に扱います。かなや刷子は寿司用・パン用の刷毛、棕櫚たわしなどを製造販売するブラシの専門店です。

散歩でたどるなら|門前・娯楽・商売の3コース

浅草寺の門前と老舗を歩く

雷門通り、仲見世、観音通り、伝法院通り、雷門柳小路、中央通り、オレンジ通りを巡る一帯です。木村家、神谷バー、中清などの老舗が点在します。

江戸の見世物から近代の映画館へ

奥山おまいりまち、花やしき通り、西参道、六区ブロードウェイ、ひさご通り、すしや通りを巡ります。旧ひょうたん池や六区の興行街の位置は、大正東京・浅草区を古地図で徹底解説でも紹介しています。

国際通りからかっぱ橋へ

国際通りからかっぱ橋本通りへ入り、道具街を南北に歩きます。水路と橋の歴史は上野・稲荷町から浅草へ歴史散歩も参考になります。

史跡の位置はTimeWalk「浅草歴史散歩」コースで確認できます。

主な参考資料