ポール・サイモン『グレイスランド』は文化交流かボイコット破りか

1975年にサンタモニカで公演するポール・サイモン

1986年、ポール・サイモンはアルバム『Graceland(グレイスランド)』を発表しました。

南アフリカのレディスミス・ブラック・マンバーゾ、レイ・フィリ、バキティ・クマロらが参加し、同国の音楽を世界的なポップ作品へ結びつけました。アルバムは大ヒットし、グラミー賞の年間最優秀アルバムを受賞します。

一方、録音当時の南アフリカにはアパルトヘイトがあり、国連や反アパルトヘイト運動は文化ボイコットを呼びかけていました。サイモンがヨハネスブルグへ入り、現地で録音した行為は、文化交流なのか、ボイコット破りなのか。発表当時から現在まで評価が分かれています。

1975年にサンタモニカで公演するポール・サイモン
ポール・サイモン、サンタモニカ公演、1975年。撮影:Harry Chase/Los Angeles Times Photographic Collection・UCLA Library/Wikimedia Commons/CC BY 4.0。

『グレイスランド』はどのようなアルバムなのか

『グレイスランド』は1986年8月に発表されたポール・サイモンのソロアルバムです。

中心となったのは、南アフリカのムバカンガ、タウンシップ・ジャイヴ、イシカタミヤなどの音楽です。そこへアメリカ南部のザディコ、メキシコ系アメリカ音楽、ロック、ポップスなどが加わりました。

参加者には、南アフリカのギタリスト、レイ・フィリ、ベーシストのバキティ・クマロ、ドラマーのアイザック・ムツァリ、サックス奏者のバーニー・ラチャバネ、男性声楽グループのレディスミス・ブラック・マンバーゾ、ツォンガ音楽のジェネラル・M・D・シリンダらがいます。

アルバムは1987年のグラミー賞で年間最優秀アルバムを受賞し、翌1988年には表題曲が年間最優秀レコードを受賞しました。アメリカ議会図書館は2006年、文化的・歴史的・美学的に重要な録音として『グレイスランド』を全米録音資料登録簿に加えています。

高い評価と政治的批判が同時に存在する点が、このアルバムの特徴です。

ポール・サイモンはなぜ南アフリカへ行ったのか

1980年代前半のサイモンは、商業的に厳しい時期を迎えていました。1983年のアルバム『Hearts and Bones』は批評家から評価された一方、売上は低迷しました。

その頃、サイモンは南アフリカのタウンシップ音楽を収めたカセットを聴きました。アコーディオン、ギター、ベース、ドラムが作るリズムに関心を持ち、音源の出所と演奏者を調べます。

1985年、サイモンはエンジニアのロイ・ハリーと南アフリカへ渡り、ヨハネスブルグで現地音楽家との録音を始めました。最初から完成した歌詞と曲を持ち込むのではなく、演奏を録音し、そのリズムやフレーズを基礎に歌詞と構成を作る方法が多く採られました。

ポール・サイモンが南アフリカの音楽家と録音したヨハネスブルグの現在の市街地
ヨハネスブルグの市街地、2018年。撮影:Khaanya96/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

録音後は、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンなどでも制作が続きました。ロス・ロボス、リンダ・ロンシュタット、エヴァリー・ブラザーズ、ロッキン・ドプシー・アンド・ザ・トゥイスターズなど、南アフリカ以外の音楽家も参加しています。

『グレイスランド』は、現地音楽家の演奏を土台に、サイモンが歌詞、構成、追加録音、編集を重ねた共同制作作品です。

当時の文化ボイコットは何を求めていたのか

文化ボイコットは、アパルトヘイト体制下の南アフリカとの公演、映画、演劇、出版、学術交流などを停止し、同国を国際的に孤立させる運動です。

国連総会は1980年、南アフリカに対する文化・学術・スポーツなどのボイコットを求める決議を採択しました。反アパルトヘイト団体は、海外の音楽家が南アフリカで公演・制作すれば、政府が通常の国際交流が続いている証拠として利用できると考えました。

文化ボイコットの運用には例外と判断の幅がありました。

英国の反アパルトヘイト運動は1982年、国内の反アパルトヘイト団体から招かれた南アフリカ人芸術家や、解放運動を支援する作品の海外公演を認める方針を採りました。南アフリカの黒人文化を国外へ出すことまで一律に止めれば、抑圧される側の表現機会も奪うためです。

争点は「南アフリカに関係する文化活動をすべて止めるか」ではなく、誰が計画し、誰に相談し、誰が利益を得て、アパルトヘイト体制を利するかという判断にありました。

なぜボイコット破りと批判されたのか

ANCや反アパルトヘイト団体に事前相談しなかった

最大の批判は、サイモンがアフリカ民族会議(ANC)、国連反アパルトヘイト特別委員会、海外の反アパルトヘイト団体などへ事前に相談せず、南アフリカへ入ったことです。

文化ボイコットでは、個々の海外アーティストではなく、南アフリカの解放運動が共同方針と例外を決めるべきだと考えられていました。

英国のAnti-Apartheid MovementとArtists Against Apartheidは、『グレイスランド』の録音を文化ボイコット違反と批判しました。国連の南アフリカ公演者登録簿にも、一時ポール・サイモンの名前が記載されました。

批判側は、「黒人音楽家と協働した」「反アパルトヘイトの意図があった」という説明より、共同方針を無視した事実を重く見ました。

白人の国際的スターだけが自由に国境を越えられた

録音に参加した黒人音楽家は、アパルトヘイト法制の下で生活していました。居住、移動、雇用、政治参加は人種による制限を受けていました。

その状況で、アメリカの有名音楽家が自らの判断で入国し、優れた演奏を選び、世界市場向けの作品に編集する構造には大きな権力差があります。

Artists Against Apartheidのダリ・タンボは後年、現地音楽家が自由な条件で文化交流を行える状況ではなかった点を指摘しました。個々の音楽家が参加を望んだ事実と、社会全体が不自由だった事実は同時に存在します。

他のアーティストへの例外になり得た

文化ボイコットは、参加者が増えるほど圧力が強くなる集団行動です。

著名な音楽家が「自分の活動は政府を支持しないから例外」と判断すれば、サン・シティで高額な報酬を得る公演者や、政府主催行事へ参加する人物も同じ論理を使えます。

批判の中心は、アルバムの音楽的内容より、運動の規律を個人判断で外れたことにありました。

ポール・サイモンはどう反論したのか

サイモンは、サン・シティのような人種隔離体制を利用した娯楽施設で公演したのではなく、黒人音楽家と録音したと主張しました。

南アフリカ政府から依頼や資金提供を受けず、政府関係者とも協力せず、現地音楽家へ報酬を支払った点を強調しています。後年のドキュメンタリー『Under African Skies』では、通常の組合基準を上回る報酬を支払ったとも説明しました。

さらに、作品によって南アフリカの黒人音楽家と音楽文化を世界へ紹介できたと評価しました。アパルトヘイト政府の宣伝ではなく、同体制が抑圧していた人々の創造力を示す行為だったという立場です。

この反論には一定の根拠があります。『グレイスランド』は、アパルトヘイト政府やサン・シティの宣伝ではなく、黒人音楽家との録音を中心とした作品です。

一方、批判側はサイモンの意図より、集団行動への影響を問題にしました。制裁運動は、共同して交流を止めることで政治的圧力を作る方法です。善意ある共同制作でも、その規律を弱める可能性が争点となりました。

南アフリカの音楽家は何を得て、何を失ったのか

この論争をサイモンと反アパルトヘイト団体だけの対立として整理すると、現地音楽家の立場が消えてしまいます。

レイ・フィリと現地バンドの役割

レイ・フィリは、南アフリカのバンド、スティメラを率いたギタリストです。『グレイスランド』ではギターだけでなく、編曲にも深く関わりました。

2007年に南アフリカで演奏するギタリストのレイ・フィリ
スティメラと演奏するレイ・フィリ、2007年。撮影:Bobbyshabangu/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

フィリのギターフレーズと構成は、「You Can Call Me Al」などの音楽的な骨格を作りました。バキティ・クマロのベース、アイザック・ムツァリのドラムなども、アルバムの音を特徴づけています。

フィリは共同制作を、隔離された南アフリカの音楽を国外へ届ける機会として肯定的に語ったことがあります。その一方、後年のインタビューでは、作曲・編曲への貢献に対するクレジットが十分だったかについて不満も述べています。

この発言は、参加したか否かだけでなく、著作者表示、印税、作品の主導権を検討する必要を示します。

レディスミス・ブラック・マンバーゾが世界へ知られた

レディスミス・ブラック・マンバーゾは、ジョセフ・シャバララが率いた南アフリカの男性声楽グループです。

2014年に公演する南アフリカのレディスミス・ブラック・マンバーゾ
レディスミス・ブラック・マンバーゾ、2014年。撮影:Bryan Ledgard/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

低い声と繊細なハーモニー、静かな足運びを組み合わせるイシカタミヤを代表し、南アフリカ国内では『グレイスランド』以前から高い評価を得ていました。

「Homeless」では、サイモンとシャバララが制作に関わりました。「Diamonds on the Soles of Her Shoes」の冒頭でも、グループの歌声が大きな役割を担っています。

アルバム後、グループは世界各地で公演し、国際的な録音活動を拡大しました。サイモンは『Shaka Zulu』などの制作にも関わり、同作はグラミー賞を受賞しました。

「サイモンが無名のグループを発見した」という説明は不正確です。彼らは南アフリカで既に活動実績を持つ音楽家でした。『グレイスランド』が変えたのは、才能の有無ではなく、国際市場への到達範囲です。

参加者の意思だけで論争は終わらない

多くの現地音楽家が共同制作を希望し、報酬、海外公演、国際的知名度などを得たことは重要です。

同時に、個々の参加者が得た利益だけで文化ボイコット全体を評価することは困難です。ボイコットは個別契約を超えて、アパルトヘイト体制へ圧力をかける集団戦略だったためです。

反対に、運動側の方針だけで現地音楽家の選択や利益を無視することにも問題があります。レイ・フィリは、既にアパルトヘイトの被害を受ける自分たちに国外活動まで断念させれば、さらに機会を奪うことになるという趣旨の反論をしました。

文化交流と文化的搾取はどう区別するのか

『グレイスランド』を現在の視点で論じる際は、「文化交流」と「文化的盗用・搾取」という言葉が使われます。

判断には複数の観点があります。

観点確認する内容
同意現地音楽家が参加内容を理解し、自ら選択できたか
報酬演奏料や印税が適切に支払われたか
クレジット作曲、編曲、演奏の貢献が正確に表示されたか
主導権誰が選曲、編集、販売、宣伝を決定したか
利益売上、名声、海外公演の機会が誰に配分されたか
政治状況参加者が自由な社会条件で交渉できたか
継続性一度利用して終わらず、関係や支援が続いたか

『グレイスランド』には、現地音楽家への報酬、実名での参加、国際ツアー、後続作品の制作など、単純な無断利用とは異なる要素があります。

一方、アルバムの名義、制作の最終決定権、販売による最大の利益と評価はポール・サイモンへ集中しました。レイ・フィリのクレジットに関する不満も残っています。

したがって、文化交流だったことと、権力・利益配分に不均衡があった可能性は両立します。

1987年のツアーは論争をどう変えたのか

アルバム発表後、サイモンは南アフリカの参加者とツアーを行いました。

そこには、南アフリカから亡命して反アパルトヘイト運動を続けていたミリアム・マケバとヒュー・マセケラも参加しました。この事実は、プロジェクトがアパルトヘイト政府を支援する目的ではなかったことを示します。

1991年に公演する南アフリカ出身の歌手ミリアム・マケバ
ミリアム・マケバ、1991年。撮影:Paul Weinberg/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

1987年には、ジンバブエのハラレで大規模な公演が行われました。舞台では『グレイスランド』収録曲だけでなく、南アフリカの政治状況に関わるマケバやマセケラの曲も演奏されました。

一方、英国ではサイモンの公演に抗議するピケットが行われました。Anti-Apartheid MovementとArtists Against Apartheidは、作品の内容やツアー参加者にかかわらず、無断で南アフリカへ入ったという当初の問題を追及しました。

ツアーは論争を解決せず、評価軸を増やしました。

  • 文化ボイコットの規律を破ったという事実
  • 黒人音楽家へ国際的な舞台を提供した効果
  • 亡命中の反アパルトヘイト音楽家が参加した事実
  • 海外のスターが作品の中心と利益を握った構造

これらを一つの結論へ縮めることは困難です。

『グレイスランド』は反アパルトヘイト作品だったのか

『グレイスランド』の中心は、公演拒否や政府制裁の呼びかけではなく、異なる音楽文化の共同制作です。

歌詞の中心も、アパルトヘイト制度の解説や政治スローガンではなく、孤独、移動、愛情、喪失、現代社会などです。グラミー賞の解説も、同作を政治的メッセージ・アルバムというより、異なる音楽文化を結びつけた作品として位置づけています。

ただし、南アフリカの黒人音楽家が世界的なテレビ番組、コンサート、音楽市場に登場したことは、アパルトヘイトが作る人種的イメージと矛盾しました。抑圧される人々を受動的な被害者だけでなく、創造者として見せる効果がありました。

作品が反アパルトヘイトの効果を持った可能性と、反アパルトヘイト運動の戦略に反した事実も両立します。

その後の評価

『グレイスランド』は世界的な成功を収め、サイモンの代表作となりました。公式資料では世界売上約1400万枚とされ、南アフリカ音楽へ関心を持つ入口にもなりました。

2006年にはアメリカ議会図書館の全米録音資料登録簿へ登録されました。2012年の25周年時には、制作と政治論争を扱うドキュメンタリー『Under African Skies』が公開されました。

同作では、サイモンと、当時批判したダリ・タンボが対話しています。両者は過去の事実を消して和解するのではなく、芸術家の自由と集団的な政治運動の規律が衝突した問題として振り返りました。

現在の論争では、文化ボイコットだけでなく、文化的盗用、クレジット、印税、国際市場の権力差も重視されます。レイ・フィリの発言は、成功物語の中に現地共同制作者の不満も残ったことを示しています。

よくある質問

ポール・サイモンはサン・シティで公演したのですか

『グレイスランド』をめぐる主な問題は、サン・シティ公演ではなく、文化ボイコット中の南アフリカへ入り、ヨハネスブルグで録音したことです。

現地音楽家には報酬が支払われたのですか

サイモンは現地音楽家に報酬を支払い、通常の組合基準を上回る額だったと説明しています。ただし、演奏料の支払いと、作曲・編曲のクレジットや長期的な利益配分は別の問題です。レイ・フィリは後年、自身の貢献に対するクレジットへ不満を述べました。

『グレイスランド』は国連から禁止されたのですか

国連は南アフリカとの文化交流停止を呼びかけ、サイモンは一時、文化ボイコット違反者の登録簿に記載されました。登録簿は世界共通の刑事罰や販売禁止ではなく、交流の事実を可視化する手段でした。

ネルソン・マンデラはアルバムを支持したのですか

マンデラ釈放後、サイモンやレディスミス・ブラック・マンバーゾとの関係を肯定的に示す出来事はありました。後年の評価とは別に、1985年当時、ANCや反アパルトヘイト団体への事前相談を欠いていました。

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音楽による寄付、抗議歌、文化ボイコット、反人種差別運動を、8本の記事で解説しています。

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  7. 文化ボイコットとは何か|南アフリカで演奏したスターはなぜ批判されたのか
  8. ロック・アゲインスト・レイシズムとは|英国のパンクとレゲエが極右に対抗した音楽運動

まとめ

『グレイスランド』は、南アフリカの音楽家とアメリカのスターが共同制作した作品であり、文化ボイコットの規律をめぐる重大な論争でもありました。

レイ・フィリ、バキティ・クマロ、レディスミス・ブラック・マンバーゾらは、アルバムの音楽的中心を担い、国際的な活動機会を広げました。作品は南アフリカ音楽を世界へ届け、グラミー賞と全米録音資料登録簿によって高く評価されています。

一方、サイモンはANCや反アパルトヘイト団体へ事前相談せず南アフリカへ入りました。集団的な文化ボイコットを、海外の著名アーティストが個人判断で例外扱いしたという批判には根拠があります。

文化交流とボイコット破りは、この事例では両立します。

音楽面では実質的な共同制作があり、現地音楽家が得た利益と国際的評価もありました。同時に、政治運動の規律を破り、クレジットや主導権の不均衡を残した側面もあります。

『グレイスランド』は、優れた作品であることと、制作方法が政治的に正しかったことを分けて考える必要を示す事例です。

参考文献

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