1985年、世界的なスターが集まった二つの曲が発表されました。
3月の『We Are the World』は、エチオピアを中心とするアフリカの飢餓救援資金を集めるための作品です。秋の『Sun City』は、南アフリカのアパルトヘイトに抗議し、音楽家に高級リゾートで演奏しないよう求めました。
どちらにもブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ダリル・ホールらが参加しました。しかし、二つの企画が聴衆と音楽業界へ求めた行動は異なります。
『We Are the World』は購入と寄付を通じて人道支援へ参加する仕組みを作りました。『Sun City』は出演拒否という行動規範を示し、アパルトヘイト体制とアメリカ政府の政策を批判しました。
二つの曲の違いを先に整理する
| 比較項目 | We Are the World | Sun City |
|---|---|---|
| 発表 | 1985年3月 | 1985年秋 |
| 主な対象 | エチオピアを中心とするアフリカの飢餓・難民危機 | 南アフリカのアパルトヘイトと文化ボイコット破り |
| 団体 | USA for Africa | Artists United Against Apartheid |
| 中心人物 | ハリー・ベラフォンテ、ケン・クレイゲン、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ | スティーヴン・ヴァン・ザント、アーサー・ベイカー、ダニー・シェクター |
| 聴衆に求めた行動 | レコード購入、寄付、救援への関心 | サン・シティ公演拒否への支持、文化ボイコットへの参加 |
| 問題への働きかけ | 救援資金と認知を増やす | 政府・施設・音楽業界へ政治的圧力をかける |
| 歌詞の政治性 | 団結、援助、責任を中心にする | 人種隔離、ホームランド、米国外交を具体的に批判する |
| 音楽 | ポップ・バラード | ロック、ヒップホップ、ファンク、ジャズ、レゲエなど |
| 英国チャート最高位 | 1位 | 21位 |
| 資金の主な用途 | 緊急救援、復旧、長期開発 | 政治犯の家族、亡命者、文化・教育活動、反アパルトヘイト教育 |
飢餓救援と人種隔離体制の廃止では、問題の性質と必要な手段が異なります。

『We Are the World』は何を目的に作られたのか
エチオピアの飢餓が世界へ報道された
1983年から1985年にかけて、エチオピアでは深刻な飢餓が広がりました。
干ばつによる凶作に加え、内戦、住民の移動、政府の政策、流通の混乱、援助物資が必要な地域へ届きにくい状況などが被害を拡大しました。
1984年、国連総会と経済社会理事会はエチオピアの干ばつ被災地域への緊急援助を求めました。テレビでは栄養失調に苦しむ人々の映像が各国で放送され、救援運動が急速に広がりました。
イギリスではボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロが中心となり、Band Aidの『Do They Know It’s Christmas?』を1984年末に発表しました。この企画に刺激を受け、アメリカでも音楽界による大規模な救援企画が進みました。
ハリー・ベラフォンテが企画を提案した
歌手で公民権運動家でもあったハリー・ベラフォンテは、アメリカの黒人音楽家を中心とする救援企画を構想しました。
マネージャーのケン・クレイゲンが参加者を集め、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが曲を書き、クインシー・ジョーンズがプロデュースしました。団体名はUnited Support of Artists for Africa、略してUSA for Africaです。

ベラフォンテは反アパルトヘイト運動にも関わった人物です。『We Are the World』では、政府批判より、緊急の人道危機に対して可能な限り広い参加と寄付を集める方式が選ばれました。
スターを一晩で集めた録音
録音は1985年1月28日、ロサンゼルスで行われました。アメリカン・ミュージック・アワード終了後、多数の出演者がスタジオへ集まりました。
参加者には、レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ティナ・ターナー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパー、ビリー・ジョエル、ウィリー・ネルソン、ポール・サイモンらがいました。

ソロ部分を著名歌手が順番に担当し、最後に全員が合唱する構成です。異なるジャンルと世代の声を一つのポップ・バラードへ集め、参加者の個性を短時間で認識できるようにしました。
『We Are the World』は3月8日に発売されました。USA for Africaは、レコードが700万枚以上売れ、数千万ドル規模の資金を生み出したと記録しています。現在公表されている総額は資料や集計時点によって異なります。
資金は国連機関や国際的な非政府組織などを通じ、緊急食料・医療支援だけでなく、復旧や長期開発にも使われました。1986年には当初の5000万ドル目標を超え、復旧・開発事業への助成も発表されました。
『Sun City』は何を目的に作られたのか
救援ではなく、出演拒否を共同宣言にした
『Sun City』が対象としたのは、南アフリカの人種隔離政策です。
サン・シティは、南アフリカ政府が「独立国」としたホームランド、ボプタツワナに建設された高級リゾートでした。国際社会はボプタツワナの独立を承認せず、アパルトヘイト政策によって作られた名目的な国家と見なしました。

国連や反アパルトヘイト団体は、南アフリカを文化的に孤立させるため、音楽家、俳優、作家らに同国で活動しないよう求めていました。しかし、サン・シティは高額な出演料で国際的スターを招きました。
『Sun City』では、参加者自身が「そこで演奏しない」と宣言し、ほかの音楽家にも同じ選択を求めました。
ヴァン・ザントは制度と外交を批判した
企画の中心人物は、スティーヴン・ヴァン・ザントです。

ヴァン・ザントは南アフリカを訪れ、アパルトヘイトと音楽業界の関係を調べました。アーサー・ベイカー、ダニー・シェクターらとArtists United Against Apartheidを組織し、50人を超える音楽家を集めました。
曲は、ホームランドへの強制的な分離、黒人多数派に参政権がない状況、政治的弾圧、サン・シティ出演者、レーガン政権の「建設的関与」を批判しました。
アーティスト印税はThe Africa Fundへ寄付され、政治犯と家族、国外へ逃れた人々、文化・教育活動、アメリカ国内の反アパルトヘイト教育などに使われました。
両企画の違いは、寄付の有無ではなく、主要な行動目標です。
「寄付」と「抗議」は何が違うのか
寄付は被害を減らす
『We Are the World』は、すでに発生している飢餓と難民危機に対し、食料、医療、輸送、復旧事業へ資金を送る仕組みを作りました。
聴衆が参加する方法は分かりやすいものでした。
- レコードを買う
- 寄付する
- 飢餓問題へ関心を持つ
- 救援団体を支援する
資金を集めるには、政治的立場の異なる人や企業も参加できる広いメッセージが有効です。誰が飢餓を生んだのかという責任追及より、命を救うための協力が前面に置かれました。
ボイコットは制度を支える関係を断つ
『Sun City』は、アパルトヘイト体制が国際的な音楽公演を利用することを止めようとしました。
- サン・シティで演奏しない
- 南アフリカとの文化交流を拒否する
- 出演した音楽家や主催者へ説明を求める
- 政府に制裁を求める
- 反アパルトヘイト団体へ参加する
ボイコットは、施設、政府、企業、出演者が得る利益や正当性を減らす手段です。援助より対立を伴いやすく、「芸術と政治を分けるべきだ」という反論も起こります。
なぜ『We Are the World』の方が大ヒットしたのか
『We Are the World』はアメリカとイギリスを含む各国で1位となり、1986年のグラミー賞で年間最優秀レコード、年間最優秀楽曲など4部門を受賞しました。
『Sun City』はイギリスで最高21位、アメリカではBillboard Hot 100の最高38位とされます。1987年のグラミー賞では2部門にノミネートされ、受賞を逃しました。
メッセージへの参加しやすさ
飢餓に苦しむ人を支援するという呼びかけは、政治的立場を超えて賛同しやすいものです。
一方、『Sun City』は南アフリカ政府、アメリカ政府、音楽業界の行動を具体的に批判しました。聴き手にも、出演者を評価し、制裁の是非を考えることを求めます。
音楽形式の違い
『We Are the World』は、著名歌手のソロを順番に聞かせるバラードです。ラジオやテレビで扱いやすく、合唱にも向いていました。
『Sun City』は、ラップ、電子的なビート、ロック、ファンク、レゲエ、ジャズなどを混在させました。音楽史的には先進的でしたが、当時のラジオ局が通常のポップ曲として編成しにくい面がありました。
対象の説明に必要な情報量
飢餓救援は、映像と短い説明から緊急性を理解できます。
サン・シティが問題である理由を理解するには、アパルトヘイト、ホームランド、ボプタツワナ、文化ボイコット、米国外交などの知識が必要です。そのため制作側は、曲だけでなくドキュメンタリー、書籍、教育用ガイドも作りました。
『Sun City』は『We Are the World』への返答だったのか
二つの曲は同じ1985年に発表され、多くのスターが重複して参加しました。『Sun City』の方が政治的に直接的だったため、現在では「『We Are the World』へのアンサーソング」と説明されることがあります。
今回確認したUSA for Africa、African Activist Archive、The Africa Fundなどの一次・公式資料では、『We Are the World』への正式な返歌という位置づけは未確認です。
ヴァン・ザントらは、チャリティー企画では社会問題の政治的原因を十分に扱えないと考えていました。
二つは、1985年の音楽界が社会問題へ介入した異なる方法として比較するのが適切です。
二つの企画に共通していたもの
スターの知名度を入口にした
どちらも、有名音楽家の参加をニュースにし、普段は国際問題の記事を読まない人へ情報を届けました。
一曲で終わらない組織を作った
USA for Africaは、資金の配分、現地調査、医療、復旧、長期開発へ活動を広げました。
Artists United Against Apartheidは、レコード、映像、書籍、教育用資料、The Africa Fundへの寄付を組み合わせました。
音楽界に社会的責任を問うた
『We Are the World』は、スターが時間、名声、売上を人道支援に提供できることを示しました。
『Sun City』は、出演料を受け取らないことも音楽家の社会的行動になり得ると示しました。
一方は「何を提供するか」、もう一方は「何を拒否するか」を音楽業界へ問いかけました。
両方の企画に批判や限界はあった
『We Are the World』への批判
大規模な資金を集めた一方、アフリカを飢餓と受援者のイメージだけで表現したという批判があります。
エチオピアの飢餓は、干ばつだけでなく戦争、政府政策、強制移住、援助へのアクセスなどが関係する複雑な危機でした。ポップソングと短い映像では、その政治的背景やアフリカ側の主体性が見えにくくなります。
救援資金がどの組織を通じ、どの地域へ、どのように配分されたのかを検証する必要もあります。USA for Africaは現地調査、助成基準、監査を実施しました。援助の効果は、著名人の善意に加え、配分先や実施内容の検証によって評価されます。
『Sun City』への批判
文化ボイコットは、南アフリカの黒人音楽家の海外活動や収入まで制限する可能性がありました。
現地で演奏することが政府支持を意味するのか、黒人観客や音楽家との交流まで拒否すべきかという議論もありました。ポール・サイモンの『Graceland』をめぐる論争は、この問題を明確に示します。
また、曲に参加したスターが、南アフリカ国内の運動を代弁する形になり過ぎる危険もあります。国外の著名人を中心にするのではなく、国内で抵抗していた人々と南アフリカ出身音楽家の声を位置づける必要があります。
よくある質問
両方の曲に参加した歌手はいますか
ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ダリル・ホールなど、両方へ参加した音楽家がいます。参加方法や録音形態は曲ごとに異なります。
『We Are the World』は政治的な曲ではなかったのですか
人道支援の呼びかけ自体が社会的・政治的意味を持ちます。ただし、歌詞は特定政府や政策の責任を直接批判せず、広い参加と救援資金の確保を優先しました。
『Sun City』も寄付を行ったのですか
はい。アーティスト印税はThe Africa Fundへ寄付され、政治犯と家族、亡命者、文化・教育活動、反アパルトヘイト教育などに使われました。
どちらの曲が先に発表されましたか
『We Are the World』は1985年1月28日に録音され、3月8日に発売されました。『Sun City』は同年秋に発表され、英国公式チャートには11月に登場しました。
『Sun City』は正式なアンサーソングですか
今回確認した一次・公式資料から読み取れるのは、『Sun City』が社会問題の政治的原因を前面に出した別のオールスター企画だったことです。同じ年に生まれた、方法の異なる企画として比較するのが適切です。
このシリーズの記事
音楽による寄付、抗議歌、文化ボイコット、反人種差別運動を、8本の記事で解説しています。
- 音楽は社会を変えられるのか|寄付・抗議歌・ボイコット・巨大コンサートの歴史
- 音楽はネルソン・マンデラ解放にどう関わったのか|「Free Nelson Mandela」から1988年コンサートまで
- We Are the WorldとSun Cityは何が違ったのか|寄付と抗議に分かれた1985年 👈現在の記事
- 『サン・シティ』とは何だったのか|スターたちがアパルトヘイトに挑んだ1985年
- ポール・サイモン『グレイスランド』は文化交流かボイコット破りか
- 日本にも反アパルトヘイト運動があった|「名誉白人」と南アフリカをめぐる日本
- 文化ボイコットとは何か|南アフリカで演奏したスターはなぜ批判されたのか
- ロック・アゲインスト・レイシズムとは|英国のパンクとレゲエが極右に対抗した音楽運動
参考文献
- USA for Africa, “Home”
- USA for Africa, “We Are the World”
- USA for Africa, “About Us”
- USA for Africa, “Publications & Documentation”
- USA for Africa, “Hands Across America”
- Library of Congress, “Political Songs—We Are the World”
- GRAMMY.com, “GRAMMY Rewind: Lionel Richie & Michael Jackson Win Song of the Year for ‘We Are the World’”
- GRAMMY.com, “28th Annual GRAMMY Awards”
- GRAMMY.com, “Living Legends: Lionel Richie”
- Official Charts Company, “USA for Africa—We Are the World”
- Official Charts Company, “Artists United Against Apartheid—Sun City”
- United Nations General Assembly, “Assistance to the drought-stricken areas of Ethiopia,” A/RES/39/201
- United Nations Economic and Social Council, “Emergency assistance to the drought victims in Ethiopia,” E/RES/1984/5
- Human Rights Watch / Africa Watch, “Evil Days: 30 Years of War and Famine in Ethiopia”
- African Activist Archive, “Artists United Against Apartheid”
- The Africa Fund, “Sun City: An Anti-Apartheid Education”
- United Nations General Assembly, “Cultural, academic and other boycotts of South Africa,” A/RES/35/206[E]
- GRAMMY.com, “Little Steven”
- Wikimedia Commons, “Ethiopia South Africa Locator.png”
- Wikimedia Commons, “Quincy Jones Harry Belafonte.jpg”
- Wikimedia Commons, “Tina Turner Lionel Richie.jpg”
- Wikimedia Commons, “Steven Van Zandt (7479336458).jpg”
- Wikimedia Commons, “Sun City.jpg”

