東京藝術大学の銅像・記念像28体を解説|人物と作者からたどる近代芸術史

東京藝術大学美術学部正門と大学美術館

上野の東京藝術大学を歩くと、校舎や木立の間に、明治から昭和にかけて日本の芸術教育を担った人々の像が現れます。岡倉天心や正木直彦のような歴代校長、加納夏雄や高村光雲らの教員、東京音楽学校の伊沢修二や小山作之助。その一方で、ロダンの《青銅時代》《バルザック》、ベートーヴェンやショパンの像も構内に置かれています。

東京藝術大学が公開する「屋外銅像・記念碑等」と、文化財保護・芸術研究助成財団の調査を照合すると、上野キャンパスの像・モニュメントは計28件です。被像人物に加え、平櫛田中、高村光太郎、朝倉文夫、沼田一雅、北村西望、本郷新、石井鶴三、保田龍門、山本豊市らの制作が、東京美術学校と東京音楽学校から続く師弟・同僚・門下の関係を伝えています。

東京藝大の構内になぜこれほど像があるのか

東京藝術大学の上野キャンパスは、1887年設置の東京美術学校と東京音楽学校という二つの前身校の歴史を受け継いでいます。功績のあった校長や教員を、門下生や同僚、卒業生が像として顕彰する文化が早くから育ちました。

1913年の東京美術学校
1913年の東京美術学校。現在の東京藝術大学美術学部の前身です。Wikimedia Commons/Public Domain

その初期例が、1910年に建立された初代彫金教授・加納夏雄かのう なつお像です。東京藝術大学の公式案内では、門下の海野勝珉が建設委員長となり、彫刻家の米原雲海が原型を制作したことが記されています。大学美術館の作品情報では、鋳造は安倍胤斎です。被像人物、原型作者、鋳造者、建立を動かした人が別々にいるため、一つの像から当時の工芸教育の人脈がたどれます。

構内の28件には、さまざまな素材と形式があります。正木直彦像は沼田一雅による陶製の全身像、クロイツァー像は山本豊市による銅板レリーフ、フェノロサは石造の記念碑です。

美術学部側――ロダンから東京美術学校の人脈へ

《青銅時代》《バルザック》――上野に置かれたロダン

美術学部入口付近で強い存在感を放つのが、フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの《青銅時代》です。大学美術館の収蔵品情報によると、原作は1875~76年、東京藝大のブロンズ像はフランスの鋳造所アレクシ・リュディエによる鋳造で、親日家デルスニスから1925年に寄贈されました。

東京藝術大学構内の青銅時代とバルザックを制作した彫刻家オーギュスト・ロダンの1884年の肖像
オーギュスト・ロダン、1884年。ジョン・シンガー・サージェント画/ロダン美術館/Wikimedia Commons(Public Domain)

《バルザック》もロダン作品です。大学美術館の収蔵品情報では、デルスニスから1933年に寄贈された石膏像をもとに、1971年8月25日にブロンズへ鋳造されています。《青銅時代》は寄贈されたブロンズ、《バルザック》は寄贈石膏を大学で鋳造した作品で、受け入れの経緯が異なります。

フェノロサから岡倉天心へ――東京美術学校の成立

ロダンから校内へ目を移すと、東京美術学校の成立を支えたアーネスト・フェノロサの記念碑があります。東京藝術大学は2025年にもこの石碑を「1920年、東京美術学校中央棟前に設置」と紹介しています。碑面の原画を担当したのは長原孝太郎です。

東京美術学校の創設に関わったアーネスト・フェノロサの肖像
アーネスト・フェノロサ、1908年以前/Wikimedia Commons(Public Domain)

フェノロサとともに明治期の美術行政と教育を動かしたのが岡倉天心です。天心は東京美術学校の校長を務め、1898年の退職後には日本美術院の創設へ進みました。天心と日本美術院の流れは、日本美術院と院展の歴史にもつながります。

1898年に日本美術院を創設した岡倉天心の肖像
岡倉天心、1905年以前/Wikimedia Commons(Public Domain)

六角堂に安置された岡倉天心像の原型作者は平櫛田中ひらくし でんちゅう、鋳造は安倍胤斎です。1931年に建立され、2026年5月には大学美術館がクリーニングを実施しました。田中は高村光雲の門下で木彫を学び、日本美術院でも活動した彫刻家です。天心を敬愛した田中が原型を担い、横山大観らが建立の発起人となりました。

正木直彦と沼田一雅――校長への謝意を陶像にする

岡倉天心像と並び、人物の全身像として特別な位置を占めるのが正木直彦像です。正木は1901年から1932年まで東京美術学校長を務め、学校制度と美術行政の双方に長く関わりました。像は1936年、陶彫の先駆者・沼田一雅が制作した陶製像です。大学の公式案内では、沼田が在職中に受けた厚遇への感謝として制作した経緯が紹介されています。正木が関わった文展・帝展など官展の流れは、日展の歴史と重なります。

東京美術学校の教授たち――日本画・彫刻・工芸・洋画の系譜

高村光雲から米原雲海、平櫛田中へ

東京美術学校の彫刻教育では、高村光雲が大きな軸になります。光雲は開校時から彫刻科で教え、米原雲海、山崎朝雲、平櫛田中らを育てました。構内の高村光雲像を制作したのは、息子で詩人・彫刻家の高村光太郎です。1935年の像には、学校の初代彫刻教育と次世代の近代彫刻が親子関係を通して重なっています。

光雲門下の米原雲海は加納夏雄像の原型を担当し、平櫛田中は岡倉天心像の原型制作と香取秀真像の監修に関わりました。米原と田中はいずれも光雲門下で、構内には二人が制作に携わった功労者像が残っています。

加納夏雄から海野勝珉、香取秀真、津田信夫へ

工芸、とりわけ金工の流れは加納夏雄像から続きます。加納は東京美術学校の初代彫金教授。海野勝珉も金工教育を担い、1919年の像は二代海野美盛が制作し、阿部整美が鋳造、門人一同が建設しました。香取秀真像は1955年、平櫛田中の監修、菅原安男の制作、本学鋳金部の鋳造です。津田信夫像は1947年、沼田一雅が制作し、本学鋳金部が鋳造しました。

金工家・石川光明の像は朝倉文夫が原型を制作し、加藤直泰が鋳造しています。朝倉は美術史家・大村西崖の像も手がけました。大分県出身の朝倉が東京で瀧廉太郎や双葉山と結ばれる系譜は、東京で大分県を探すでたどれます。

日本画から洋画へ――橋本雅邦、川端玉章、藤島武二、安井曾太郎

日本画では橋本雅邦、川端玉章、寺崎広業の像が並びます。橋本雅邦像を制作した白井雨山は、自身も後に建畠大夢作の像で顕彰されました。川端玉章像は武石弘三郎、寺崎広業像は内藤伸の作です。

洋画では久米桂一郎、岡田三郎助、藤島武二、安井曾太郎の像があります。久米像は北村西望、岡田像の浮彫は田辺至、藤島像は本郷新、安井像は石井鶴三が制作しました。

1936年の一水会創立者の一人である洋画家・安井曾太郎の1952年の肖像
安井曾太郎、1952年。『アサヒグラフ』/Wikimedia Commons(Public Domain)

安井曾太郎は1936年の一水会創立者の一人でもあります。洋画家としての活動と団体史は、一水会の歴史で詳しくたどれます。

音楽学部側――東京音楽学校と西洋音楽の受容

伊沢修二と小山作之助――音楽教育を制度にする

音楽学部側では、東京音楽学校の制度と教育を担った人々が中心になります。伊沢修二は音楽取調掛を率い、日本の近代音楽教育の制度化を進めました。伊沢像は長谷川義起による1930年のブロンズ像です。小山作之助は東京音楽学校で学び、教員として唱歌・音楽教育に関わりました。小山像も長谷川義起が手がけ、1929年に建立されています。

白浜徴の記念碑は水谷鉄也が原型を制作し、1927年の原型をもとに1931年に建立されました。

クロイツァー、ベートーヴェン、ショパン

レオニード・クロイツァーはドイツで活動したピアニストで、来日後に東京音楽学校教授となりました。1956年の銅板レリーフは彫刻家・山本豊市の作です。

ベートーヴェン胸像は保田龍門が制作し、第12回院展に出品された作品を徳川頼貞が1938年に寄贈しました。ショパン胸像は生誕200年に当たる2010年、駐日ポーランド共和国大使館から寄贈され、5月22日に除幕されています。二人の像は、西洋音楽の受容と国際交流を象徴する存在として加わりました。

なぜ音楽学部側に美術・工芸系の人物像があるのか

現在の学部名だけを見ると、音楽学部側に海野勝珉、香取秀真、津田信夫、白山松哉といった工芸系の人物像がある配置は意外に映ります。東京藝術大学の公式案内は、その理由を旧東京美術学校の校地利用に求めています。

現在の音楽学部5号館付近には、かつて東京美術学校の工芸関係施設がありました。像は本人が関わった学科・施設の近くに建立され、校地と建物の使われ方が変わった後も、海野勝珉、香取秀真、津田信夫、白山松哉の像が現在の音楽学部側に残りました。現在の配置に、旧東京美術学校時代の校地利用が残っています。

東京藝術大学の銅像・記念像28件一覧

大学公式の「屋外銅像・記念碑等」に記録された作品と、その後に加わったショパン像を、文化財保護・芸術研究助成財団の調査と照合しました。大学美術館内収蔵と記される黒田清輝像・大島如雲像は別枠とし、上野キャンパスの屋外像・記念碑を計28件で整理しています。

設置エリア像・記念物作者・制作年・形式藝大との関係
美術学部側岡倉天心像原型:平櫛田中/鋳造:安倍胤斎1931年・ブロンズ全身像東京美術学校長
美術学部側岡田三郎助像浮彫:田辺至/監修:朝倉文夫1941年制作・1942年除幕/アルミ合金レリーフ西洋画科教授
美術学部側アーネスト・フェノロサ記念碑原画:長原孝太郎1920年・石造記念碑東京美術学校創設に関与
美術学部側久米桂一郎像北村西望1936年・ブロンズ胸像西洋画科教授
美術学部側橋本雅邦像白井雨山1913年・胸像日本画科教授
美術学部側白井雨山像建畠大夢1929年・ブロンズ胸像彫刻科教授
美術学部側大村西崖像朝倉文夫1928年・ブロンズ胸像美術史・東洋美術研究
美術学部側川端玉章像武石弘三郎1911年・胸像日本画科教授
美術学部側寺崎広業像内藤伸1937年・胸像日本画科教授
美術学部側安井曾太郎像石井鶴三1960年・胸像洋画家・教授
美術学部側藤島武二像本郷新1956年・ブロンズ胸像西洋画科教授
美術学部側加納夏雄像原型:米原雲海/鋳造:安倍胤斎1910年・ブロンズ胸像初代彫金教授
美術学部側石川光明像原型:朝倉文夫/鋳造:加藤直泰1917年・ブロンズ胸像彫刻・牙彫、教授
美術学部側高村光雲像高村光太郎1935年・ブロンズ胸像彫刻科初期の教授
美術学部側竹内久一像沼田一雅1930年・ブロンズ胸像彫刻科教授
美術学部側正木直彦像沼田一雅1936年・陶製全身像東京美術学校長
美術学部側ロダン《青銅時代》オーギュスト・ロダン/鋳造:アレクシ・リュディエ原作1875~76年・ブロンズデルスニス寄贈
美術学部側ロダン《バルザック》オーギュスト・ロダン石膏像寄贈/1971年藝大鋳造デルスニス寄贈
音楽学部側海野勝珉像制作:二代海野美盛/鋳造:阿部整美1919年・ブロンズ胸像/門人一同建設金工・彫金教育
音楽学部側香取秀真像監修:平櫛田中/制作:菅原安男/鋳造:本学鋳金部1955年・ブロンズ胸像鋳金家・教授
音楽学部側津田信夫像制作:沼田一雅/鋳造:本学鋳金部1947年・ブロンズ胸像鋳金家・教授
音楽学部側白山松哉像水谷鉄也1929年・胸像漆工・教授
音楽学部側レオニード・クロイツァー像山本豊市1956年・銅板レリーフ東京音楽学校教授
音楽学部側伊沢修二像長谷川義起1930年・ブロンズ胸像音楽取調掛・音楽教育
音楽学部側小山作之助像長谷川義起1929年・ブロンズ胸像東京音楽学校教員
音楽学部側白浜徴記念碑原型:水谷鉄也原型1927年・建立1931年東京音楽学校関係者
音楽学部側ベートーヴェン像保田龍門1938年寄贈・ブロンズ胸像徳川頼貞寄贈
音楽学部側ショパン胸像作者:確認できた資料に記載なし2010年・胸像駐日ポーランド共和国大使館寄贈/生誕200年記念

大学公式資料には、高村光太郎作の黒田清輝像と新田藤太郎作の大島如雲像も記録され、現在は「大学美術館内収蔵」とされています。両像を館内収蔵分として別枠に置き、2010年に加わったショパン像までを屋外28件として照合しました。文化財保護・芸術研究助成財団も構内の像・モニュメントの総数を28としています。

実際に上野キャンパスで見るときの位置関係

上野キャンパスは上野恩賜公園の北側にあり、美術学部側と音楽学部側に分かれています。周辺の寺院・文化施設まで含めた位置関係は、上野公園の外周を歩く歴史散歩や上野公園まるわかりガイドと合わせると、東京藝大が上野の文化施設群の一角にあることが分かります。

東京藝術大学の「キャンパス見学」案内では、上野キャンパスは授業などの妨げにならない範囲で敷地内の自由見学が案内されています。10人未満は予約不要で、正門近くの守衛所に見学希望を伝える方式です。入学試験などで全面入構規制が行われる日もあるため、訪問時点の大学公式案内が基準になります。

藝祭の時期には、上野キャンパスと街の結び付きが別の姿で表れます。学生による御輿や法被の制作史は、藝祭「開口一番」と御輿・法被の歴史で紹介しています。

銅像からつながる上野の近代芸術史

加納夏雄像では門下の海野勝珉が建立を動かし、岡倉天心像では横山大観らが発起人となり、天心を敬愛した平櫛田中が原型をつくりました。高村光雲像は息子・高村光太郎の作です。東京美術学校と東京音楽学校で結ばれた師弟、同僚、門下、寄贈者の関係が、現在も上野キャンパスの像の配置と作者名に残っています。

よくある質問

東京藝術大学には銅像が何体ある?

上野キャンパスの屋外像・記念碑を現在の資料で照合すると計28件です。内訳には、ブロンズ像のほか、陶製の正木直彦像、フェノロサ記念碑、クロイツァーのレリーフなどが含まれます。

岡倉天心像を作ったのは誰?

原型は平櫛田中、鋳造は安倍胤斎です。1931年に建立され、現在は大学美術館脇の六角堂に安置されています。

東京藝大にロダン作品があるのはなぜ?

親日家デルスニスから作品が寄贈されたためです。《青銅時代》は1925年に寄贈され、《バルザック》は寄贈された石膏像をもとに後年、大学の鋳造研究室でブロンズ化されました。

音楽学部にあるベートーヴェン像の作者は?

彫刻家・保田龍門です。第12回院展に出品された胸像で、徳川頼貞が1938年に東京音楽学校へ寄贈しました。

東京藝大の像は一般の人も見られる?

大学公式のキャンパス見学では、上野キャンパスの敷地内を授業などの妨げにならない範囲で自由見学できると案内されています。10人未満は予約不要で守衛所へ申し出る方式です。試験などによる入構規制日は公式案内が優先されます。

主な参考資料