内閣を日本代表チームにたとえるなら、首相だけでなく、それぞれの担当を受け持つ大臣を見ると政権の実像が分かります。鳩山由紀夫内閣は2009年9月16日に発足し、2010年6月8日の総辞職まで266日続きました。2009年衆議院議員総選挙で民主党が大勝し、自民党中心の政権から本格的な政権交代が実現した直後の内閣です。
鳩山政権で国務大臣を務めた人物は、鳩山本人を含め19人です。大規模な内閣改造はありませんでしたが、藤井裕久財務相の辞任、菅直人・仙谷由人の担当変更、枝野幸男の新入閣、普天間飛行場移設問題をめぐる福島みずほの罷免がありました。19人の経歴、担当、起用上の注目点、在任中の仕事、結果、その後を順に整理します。
まず分かる|鳩山政権で大臣を務めた19人
| 人物 | 主な役職 | 一言で分かる注目点 |
|---|---|---|
| 鳩山由紀夫 | 内閣総理大臣 | 政権交代後の首相。マニフェスト政策と普天間問題の中心 |
| 菅直人 | 副総理・国家戦略担当→財務相 | 副総理から財政運営を担い、次の首相へ |
| 仙谷由人 | 行政刷新担当→国家戦略担当 | 事業仕分けと政治主導の制度設計を担当 |
| 原口一博 | 総務相・地域主権推進 | 地方自治、通信・放送、地域主権改革を担当 |
| 千葉景子 | 法務相 | 弁護士経験を持ち、法務・人権行政を担当 |
| 岡田克也 | 外相 | 日米外交、密約調査、普天間交渉を担当 |
| 藤井裕久 | 財務相 | 2010年度予算編成を担い、途中で辞任 |
| 川端達夫 | 文科相 | 高校授業料の負担軽減制度を担当 |
| 長妻昭 | 厚労相 | 年金記録問題と子ども手当を担当 |
| 赤松広隆 | 農水相 | 戸別所得補償モデル事業と口蹄疫対応 |
| 直嶋正行 | 経産相 | 景気、産業、エネルギー政策を担当 |
| 前原誠司 | 国交相 | JAL再建、八ッ場ダム見直し、沖縄政策を担当 |
| 小沢鋭仁 | 環境相 | 温室効果ガス25%削減目標の国内政策を担当 |
| 北澤俊美 | 防衛相 | 防衛行政と普天間問題の日米協議を担当 |
| 平野博文 | 官房長官 | 官邸の総合調整、連立調整を担った |
| 中井洽 | 国家公安委員長・拉致問題担当 | 警察行政、拉致問題、防災を担当 |
| 亀井静香 | 金融相・郵政改革担当 | 国民新党代表として連立参加、金融円滑化と郵政見直し |
| 福島みずほ | 消費者・少子化担当相など | 社民党党首として連立参加し、普天間問題で罷免 |
| 枝野幸男 | 行政刷新担当相 | 2010年2月に途中入閣し、事業仕分け第2弾を担当 |
この組閣は何が特徴だったのか
鳩山内閣は民主党、社会民主党、国民新党の3党連立で発足しました。福島みずほは社民党党首、亀井静香は国民新党代表として入閣し、担当政策だけでなく連立政権そのものを支える役割も持っていました。
人事では、野党時代から特定分野に取り組んできた政治家と担当ポストの接点が目立ちます。年金問題を追及してきた長妻昭が厚生労働相、外交政策を担ってきた岡田克也が外相、公共事業や交通政策に関わってきた前原誠司が国土交通相、郵政民営化に批判的だった亀井静香が郵政改革担当相となりました。公式な起用理由が確認できない人については、経歴と担当分野の接点として見るのが適切です。
政権は「政治主導」を掲げ、国家戦略室や行政刷新会議を設けました。予算編成、事業仕分け、子ども手当、高校教育の負担軽減、農業者戸別所得補償など、2009年総選挙の民主党マニフェストを政策へ移すことが初期の中心課題でした。
閣僚を一人ずつ見る
鳩山由紀夫|内閣総理大臣

鳩山由紀夫は民主党代表として2009年衆院選を勝利に導き、第93代内閣総理大臣に就任しました。首相は内閣全体を統括し、各大臣の任免、外交・安全保障を含む政府方針の最終調整を担います。鳩山は民主党結党以来の中心人物の一人で、政権交代の象徴となりました。
発足後は政治主導、地域主権、「新しい公共」などを掲げ、子ども手当、高校教育の負担軽減、農業者戸別所得補償、事業仕分けを進めました。2009年9月には国連の気候変動首脳会合で、主要国による公平で実効的な国際枠組みなどを前提に、2020年までに1990年比25%の温室効果ガス削減を目指す方針を表明しました。
政権後半では沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先をめぐる調整が難航しました。2010年5月の日米共同発表で辺野古周辺を基本とする方向に戻り、社民党との連立も崩れました。自身の政治資金問題や民主党幹事長だった小沢一郎をめぐる問題も政権運営の重荷となり、鳩山は6月2日に辞意を表明。内閣は6月8日に総辞職しました。
菅直人|副総理・国家戦略担当から財務相へ

菅直人は民主党の創設者の一人で、村山内閣では厚生相として薬害エイズ問題への対応で知られました。鳩山内閣では副総理兼国家戦略担当相として発足し、予算や経済政策を政治主導で組み立てる役割を担いました。
2010年1月、藤井裕久財務相の辞任を受けて財務相へ横滑りしました。税制、国債、予算、財政運営を担当し、鳩山政権の後半では経済財政運営の中心に立ちます。鳩山退陣後の民主党代表選で選ばれ、2010年6月8日に次の首相となりました。
仙谷由人|行政刷新から国家戦略へ

仙谷由人は弁護士出身で、民主党では政策調査会長などを務めた政策通でした。発足時は行政刷新担当相として、行政刷新会議と事業仕分けを担当しました。行政刷新担当相は、政府事業や独立行政法人などの見直しを進め、予算の無駄や制度の重複を検証する役割です。
藤井財務相辞任に伴う2010年1月の人事で国家戦略担当へ移り、2月には「新しい公共」も担当しました。行政刷新は枝野幸男へ引き継ぎました。鳩山退陣後は菅内閣の官房長官となり、民主党政権の中枢に残りました。
原口一博|総務相・地域主権推進担当

原口一博は総務相と地域主権推進担当相を兼ねました。総務省は地方自治、行政制度、通信・放送、消防、統計など幅広い分野を所管します。鳩山政権では国から地方への権限移譲を進める「地域主権改革」が重要テーマとなり、原口はその実務を担当しました。
通信・放送行政の見直しや地方交付税を含む地方財政も所管し、菅内閣でも総務相に留任しました。首相が交代しても政策の一部を継続した人物です。
千葉景子|法務相

千葉景子は弁護士出身の参議院議員で、法務相に就任しました。法務相は民事・刑事法制、出入国在留管理、人権擁護、検察行政などを所管します。弁護士として人権問題に取り組んだ経歴と担当分野に接点がありました。
鳩山内閣の総辞職後も菅内閣で法務相を続けました。2010年参院選で落選した後もしばらく閣僚を務め、同年9月の改造で退任しました。
岡田克也|外相

岡田克也は通商産業省出身で、民主党代表も務めた党の中心人物です。外相は外交交渉、条約、在外公館、国際機関との関係などを担当します。鳩山政権では日米関係と普天間問題が最大級の課題となりました。歴代外相の流れは歴代外務大臣一覧と日本外交史で確認できます。
もう一つ大きな仕事が、日米安保改定や沖縄返還をめぐる、いわゆる「密約」の調査です。岡田は就任直後に外務省内の調査を命じ、2010年3月に有識者委員会の報告と外務省調査結果が公表されました。政権交代によって過去の外交文書を検証した代表的な事例です。
普天間問題では米側との協議を重ね、2010年5月28日の日米共同発表へ至りました。岡田は菅内閣でも外相に留任し、その後は民主党幹事長、副総理などを務めます。
藤井裕久|財務相

藤井裕久は大蔵省出身で、細川内閣でも大蔵相を務めた財政・税制の経験者でした。財務相は国の予算、税制、国債、財政運営を担当します。政権交代直後の2010年度予算編成を担い、民主党の新政策と厳しい税収環境を同時に調整する立場にありました。
体調上の理由で2010年1月に辞任し、後任には菅直人副総理が就きました。藤井の辞任は、鳩山内閣で最初の大きな閣僚交代となりました。
川端達夫|文部科学相

川端達夫は文部科学相として教育、科学技術、文化、スポーツを担当しました。鳩山政権の代表的な教育政策が、2010年度から始まった高校教育の負担軽減です。公立高校では授業料を徴収せず、私立高校などの生徒には就学支援金を支給する仕組みが導入されました。
川端は科学技術政策も担当し、菅内閣でも文科相に留任しました。高校教育への公的支援は後に制度改正を重ねながら継続しています。
長妻昭|厚生労働相

長妻昭は野党時代、年金記録問題を継続的に追及し、「ミスター年金」と呼ばれた政治家です。厚生労働相は医療、年金、介護、雇用、労働行政、子育て支援を担当します。長妻の経歴と厚労行政には明確な接点がありました。
年金記録問題への対応に加え、鳩山政権の看板政策だった子ども手当を担当しました。2010年度は中学校修了前までの子ども一人につき月額1万3,000円を支給する法律が成立し、2010年4月に施行されました。民主党が総選挙時に掲げた月額2万6,000円の満額支給には鳩山政権中に至っていません。
長妻は菅内閣でも厚労相を続け、2010年9月の改造で退任しました。
赤松広隆|農林水産相

赤松広隆は農林水産相として農業、林業、水産業、食料政策を担当しました。鳩山政権が掲げた農業者戸別所得補償は、2010年度に水田農業を対象とするモデル対策として始まりました。米だけでなく麦、大豆、飼料用米などへの生産支援を組み合わせ、翌年度の本格制度につなげる位置づけでした。
政権末期には宮崎県で口蹄疫が発生し、感染拡大防止、家畜の殺処分、農家支援が大きな危機対応となりました。赤松は鳩山内閣の総辞職とともに退任し、菅内閣では山田正彦が農水相となりました。
直嶋正行|経済産業相

直嶋正行は自動車産業の労働組合出身で、民主党では政策調査会長などを務めました。経済産業相は産業政策、通商、中小企業、資源・エネルギー政策を担当します。リーマン・ショック後の景気回復が続く時期に、企業支援、雇用につながる産業政策、環境対応型産業などを所管しました。
直嶋は菅内閣でも経産相に留任し、2010年9月まで務めました。
前原誠司|国土交通相

前原誠司は国土交通相として道路、鉄道、航空、河川、住宅、観光などを担当し、沖縄・北方対策や防災も担いました。政権発足直後には民主党マニフェストに沿って八ッ場ダムの建設中止方針を示し、公共事業見直しの象徴となりました。
もう一つの大仕事が日本航空(JAL)の再建です。JALは2010年1月19日に会社更生法の適用を申請し、企業再生支援機構を活用した再建へ入りました。再建は後の政権下でも続き、JALは2012年に再上場しています。
八ッ場ダムはその後、建設継続へ方針が転換され、2020年から運用されています。鳩山政権期には「中止方針を示して再検証した」と整理するのが正確です。前原は菅内閣で国交相に留任し、後に外相へ移りました。
小沢鋭仁|環境相

小沢鋭仁は環境相として地球温暖化対策、廃棄物、自然環境などを担当しました。鳩山首相が国際的に表明した「2020年に1990年比25%削減」という温室効果ガス削減目標を、国内制度へ落とし込む役割を担いました。
政府は2010年3月12日、25%削減目標などを盛り込んだ地球温暖化対策基本法案を閣議決定しました。法案は鳩山政権中に成立せず、後年の政府目標も変更されています。小沢は菅内閣でも環境相を続けました。
北澤俊美|防衛相

北澤俊美は防衛相として自衛隊、防衛政策、日米安全保障協力を担当しました。鳩山政権では普天間飛行場の代替施設問題が防衛行政の最大の課題となり、外相の岡田克也らとともに米側との協議に関わりました。
2010年5月の日米共同発表では、代替施設を辺野古周辺に置く方向が確認されました。北澤は菅内閣でも防衛相に留任し、2011年まで務めました。
平野博文|内閣官房長官

平野博文は鳩山由紀夫の側近として長く活動し、官房長官に就きました。官房長官は各省庁を調整し、首相を補佐し、政府の情報発信や危機管理を担う「内閣の調整役」です。
鳩山政権では3党連立の調整や普天間問題の政府内協議に関わりました。福島みずほが罷免された後には、その担当の一部を臨時に担いました。鳩山退陣とともに官房長官を退き、菅内閣では仙谷由人が後任となりました。
中井洽|国家公安委員長・拉致問題担当

中井洽は国家公安委員長と拉致問題担当相を務めました。国家公安委員会は警察庁を管理し、治安・警察行政の民主的な運営を確保する役割があります。中井は北朝鮮による拉致問題への政府対応も担当しました。
2010年1月には防災担当も前原誠司から引き継ぎました。菅内閣でも国家公安委員長・拉致問題担当相に留任しました。
亀井静香|金融相・郵政改革担当

亀井静香は国民新党代表として3党連立に参加し、金融相と郵政改革担当相を兼ねました。金融相は銀行、証券、保険など金融行政を担当します。郵政改革担当では、小泉政権以来の郵政民営化の進め方を見直す役割を担いました。
2009年12月には中小企業金融円滑化法が施行されました。金融機関に対し、中小企業や住宅ローン利用者から返済条件変更の申し込みがあった場合、できる限り応じるよう努力を求める時限措置です。法律は後に延長され、2013年3月末で期限を迎えました。
亀井は菅内閣でもいったん同じ担当で再任されましたが、郵政改革法案の扱いをめぐり2010年6月に辞任しました。
福島みずほ|消費者・少子化担当相など

福島みずほは社民党党首として入閣し、消費者行政、少子化対策、食品安全、男女共同参画などを担当しました。消費者庁は鳩山政権発足直前の2009年9月に始動した新しい行政組織で、消費者被害や製品・食品の安全に関する政策を扱います。
政権末期、普天間飛行場の移設先を辺野古周辺とする政府方針に反対し、2010年5月28日の閣議決定への署名を拒みました。鳩山首相は同日、福島を罷免しました。社民党は5月30日に連立政権から離脱し、3党連立は崩れました。
枝野幸男|行政刷新担当相

枝野幸男は2010年2月10日、行政刷新担当相として途中入閣しました。前年の事業仕分けで統括役を務めており、その実務経験を持ったまま閣僚として第2弾を担当する形になりました。
第2弾の事業仕分けでは独立行政法人なども検証対象となりました。鳩山退陣後は菅直人の民主党代表就任に伴い党幹事長となり、後には官房長官なども務めます。
途中交代で誰が変わった?
| 日付 | 人事 | 意味 |
|---|---|---|
| 2010年1月7日 | 藤井裕久が財務相辞任、菅直人が財務相へ | 副総理だった菅が財政運営の中心へ移った |
| 2010年1月 | 仙谷由人が国家戦略担当へ | 国家戦略機能の担当を再配置した |
| 2010年1月12日 | 防災担当を前原誠司から中井洽へ | 兼務を整理した |
| 2010年2月10日 | 枝野幸男が行政刷新担当相として入閣 | 事業仕分け第2弾を担当 |
| 2010年5月28日 | 福島みずほを罷免 | 普天間問題を契機に社民党が連立離脱へ |
子ども手当・高校授業料支援・戸別所得補償はどこまで実現した?
子ども手当は2010年3月31日に法律が成立・公布され、4月1日に施行されました。2010年度は中学校修了前までの子ども一人につき月額1万3,000円です。民主党が総選挙時に掲げた月額2万6,000円とは金額が異なり、満額支給は鳩山政権中に実現していません。その後制度は見直され、児童手当へ再編されました。
高校教育では2010年度から公立高校の授業料不徴収と、私立高校などの生徒への就学支援金が始まりました。制度は後の政権でも改正を重ねながら、高校教育の負担軽減策として続いています。
農業者戸別所得補償は、2010年度に水田農業を対象とするモデル対策として実施されました。本格制度は菅政権期の2011年度へ引き継がれ、その後の政権で制度が改編されました。鳩山政権では「モデル事業を実施した」と整理すると、決定と本格実施の時期を混同しません。
事業仕分けと「政治主導」は何を変えた?
鳩山政権は行政刷新会議を設け、2009年11月に事業仕分けを実施しました。各省庁の事業について、必要性、実施主体、予算規模などを公開の場で検証し、2010年度予算編成に反映させる試みです。仙谷由人が行政刷新担当相を務め、枝野幸男らが仕分け作業の前面に立ちました。
2010年2月に枝野が行政刷新担当相となり、4月以降の第2弾では独立行政法人などへ対象を広げました。個別の判定は予算編成の材料となり、最終的な予算削減額は別途の編成過程で決まりました。政府事業を公開で検証する方式は、後の行政事業レビューなどにもつながる行政評価の一手法となりました。
JAL・八ッ場ダム・郵政改革はどうなった?
前原誠司国交相の下では、日本航空の経営再建と公共事業見直しが同時進行しました。JALは2010年1月19日に会社更生法の適用を申請し、企業再生支援機構の支援を受けて再建へ入りました。再建は後の政権まで続き、2012年に再上場しています。
八ッ場ダムでは、前原が政権発足直後に建設中止方針を示しました。その後、事業の検証を経て建設継続へ方針が変わり、ダムは完成して2020年から運用されています。鳩山政権では建設中止方針を示して再検証し、事業は後に継続されました。
郵政では亀井静香が民営化の進め方を見直しました。これは小泉純一郎政権で進められた郵政民営化を、政権交代後に再検討する流れです。郵政改革法案の扱いは鳩山内閣だけでは完結せず、菅政権以降へ持ち越されました。
中小企業金融円滑化法は何をした?
亀井静香金融相の下で成立した中小企業金融円滑化法は、2009年12月4日に施行されました。中小企業や住宅ローン利用者から返済条件変更の申し込みがあった場合、金融機関にできる限り応じるよう努力を求めた時限措置です。
法律は金融危機後の資金繰り支援として運用され、期限はその後延長されました。2013年3月末で終了しましたが、金融庁は期限終了後も金融機関による円滑な資金供給や条件変更への対応を求めました。
温室効果ガス25%削減目標は実現した?
鳩山首相は2009年9月、2020年までに1990年比25%削減を目指す方針を国際社会に示しました。主要国が公平で実効的な国際枠組みに参加することなどを前提とした目標です。
小沢鋭仁環境相の下で、政府は2010年3月に地球温暖化対策基本法案を閣議決定しました。しかし、この法案は鳩山政権で成立していません。東日本大震災後のエネルギー政策の変化などもあり、日本政府の削減目標は後年改められました。したがって鳩山政権の到達点は「国際的な目標表明と国内基本法案の閣議決定」です。
普天間問題で3党連立はどう崩れた?
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場移設問題は、鳩山政権を決定づけた外交・安全保障課題です。鳩山政権は既存の日米合意を再検討し、岡田克也外相、北澤俊美防衛相、前原誠司国交相・沖縄北方担当相、平野博文官房長官らが調整に関わりました。
政府は県外を含む代替案を検討しましたが、米国、沖縄、連立各党の合意を同時に得ることはできませんでした。2010年5月28日の日米安全保障協議委員会共同発表では、代替施設を辺野古周辺に置く方向が示されます。
社民党党首の福島みずほは政府方針に反対し、同日の閣議決定への署名を拒否しました。鳩山首相は福島を罷免し、社民党は5月30日に連立を離脱しました。鳩山は6月2日に辞意を表明し、6月8日に内閣が総辞職しました。普天間問題は一人の大臣の所管に収まらず、外交、防衛、沖縄政策、官邸調整、連立維持が重なった政権全体の問題でした。
266日を後から答え合わせすると何が残った?
| 政策 | 鳩山政権での到達点 | その後 |
|---|---|---|
| 子ども手当 | 月額1万3,000円で法律成立・施行 | 満額2万6,000円には至らず、後に児童手当へ再編 |
| 高校教育の負担軽減 | 2010年度から制度開始 | 改正を重ねながら支援制度が継続 |
| 農業者戸別所得補償 | 2010年度モデル事業 | 菅政権で本格実施、後に制度改編 |
| 事業仕分け | 第1弾・第2弾を実施 | 政府事業の公開検証は別制度へ継承 |
| JAL再建 | 会社更生手続きと再建開始 | 2012年に再上場 |
| 八ッ場ダム | 中止方針を示し再検証 | 建設継続へ転換し、2020年運用開始 |
| 金融円滑化 | 法律成立・施行 | 延長後、2013年3月末で終了 |
| 郵政改革 | 民営化見直しを開始 | 法制度の調整は後継政権へ |
| 温室効果ガス25%削減 | 目標表明、基本法案を閣議決定 | 法案は成立せず、政府目標は後年変更 |
| 普天間移設 | 再検討後、辺野古周辺を基本とする日米合意へ | その後も長期的な政治課題として継続 |
19人の閣僚は菅直人政権でどうなった?
鳩山から菅への交代は、同じ民主党政権内部での首相交代でした。菅直人自身が財務相から首相となり、岡田克也、原口一博、千葉景子、川端達夫、長妻昭、直嶋正行、小沢鋭仁、北澤俊美、中井洽ら多数が菅内閣でも閣僚を続けました。
一方、仙谷由人は官房長官へ移り、赤松広隆、平野博文らは退任しました。亀井静香は再任後まもなく辞任します。鳩山政権の記事と次の菅直人政権の記事をつなげると、民主党政権の政策がどこで継承され、どこで修正されたかを人物単位で追えます。
鳩山政権の主要な出来事を時系列で見る
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2009年9月16日 | 鳩山内閣発足。民主・社民・国民新の3党連立 |
| 2009年9月 | 鳩山首相が国連で温室効果ガス25%削減目標を表明 |
| 2009年11月 | 事業仕分け第1弾 |
| 2009年12月4日 | 中小企業金融円滑化法施行 |
| 2010年1月7日 | 藤井裕久財務相辞任、菅直人が後任 |
| 2010年1月19日 | 日本航空が会社更生法適用を申請 |
| 2010年2月10日 | 枝野幸男が行政刷新担当相として入閣 |
| 2010年3月 | 日米「密約」調査報告を公表、地球温暖化対策基本法案を閣議決定 |
| 2010年4月 | 子ども手当、高校教育負担軽減制度が開始 |
| 2010年4~5月 | 事業仕分け第2弾 |
| 2010年5月28日 | 普天間問題で日米共同発表、福島みずほを罷免 |
| 2010年5月30日 | 社民党が連立離脱 |
| 2010年6月2日 | 鳩山首相が辞意表明 |
| 2010年6月8日 | 鳩山内閣総辞職、菅直人内閣発足 |
次の政権は、鳩山内閣の副総理・財務相だった菅直人が率いた菅直人政権です。36人の閣僚と二度の内閣改造、東日本大震災・福島第一原発事故への対応までまとめています。
政権シリーズ:小泉純一郎|第1次安倍晋三|福田康夫|麻生太郎|鳩山由紀夫(現在の記事)|菅直人|野田佳彦|第2次~第4次安倍晋三|菅義偉|岸田文雄|石破茂|高市内閣
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普天間・沖縄の背景:米軍統治下の沖縄27年間|日本外交を形づくった条約・共同声明
主な一次資料
- 首相官邸「第93代 鳩山由紀夫」
- 厚生労働省「平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律」
- 農林水産省「戸別所得補償モデル対策」
- 内閣府「枝野行政刷新担当大臣記者会見要旨」
- 国土交通省「前原大臣会見 2010年1月19日」
- 国土交通省「前原大臣会見 2009年9月17日」
- 金融庁「中小企業金融円滑化法」
- 環境省「地球温暖化対策基本法案の閣議決定」
- 外務省「いわゆる密約問題に関する調査」
- 外務省「2010年5月の日米協議・外相会見」
鳩山政権の前には、リーマン・ショック後の危機対応と2009年の政権交代に直面した麻生太郎政権の21人の閣僚がいました。首相の流れ全体は近現代日本の歴代首相、外交担当者の流れは日本の歴代外務大臣でも整理しています。

